<霜月>今月の《道具》 呂宋 茶壷 土田友湖仕立
11月は各御家元でも 今期初めての炉が開かれます。この時期「新茶」を「茶壷」から取り出し茶臼で挽き頂くこと、が口切りの意味でもありますが、近年では茶そのものの保存技術が向上し年中上質の茶を頂くことが出来る時代となり、逆に「今年の茶」の有り難さが分からなくなってしまってもいます。ですから尚のこと「しきたり」としての「開炉、口切」の姿は大事にしたいと思います。
呂宋 茶壷 とは
天正期(1573-1592)の茶壷鑑賞盛行と価格高騰に目をつけた我が国の貿易商、呂宋 助左右衛門(るそん・すけざえもん)が、文禄三年(1594)にルソン島より多くの壷を輸入し、茶壷として豊臣秀吉はじめ織田有楽・ 浅野長政らの諸大名や茶人たちに売却したことが『当代記』『紺屋文書』によって確認されます。 るすん壷の語はこの『紺屋文書』が初現のようです。
この時以来慶長(1596-1615)末年ごろまでに輸入された壷も、多くは中国南部産の壷であり、東南アジア諸島産の壷は僅少であったと考えられています。
これ以前に輸入され既に真壷としで珍重されていた古渡りの茶壷と、これら新規渡来、今渡り・新渡りの輸入壷とを区別して「るすん壷」 あるいは「新真壷」と呼んだのですが、寛永期(1624-44)ころよりその区別は混乱し、古渡りの茶壷・清香・真壷・連華王をも含めて、輸入茶壷のすべてを呂宋壷と総称する者も現れ、ついには呂宋壷の称は輸入茶壷のうちの上等品を指すなどといった解釈も生まれました。
これらの茶壺は、嘉祐年間(1056-62)には広東省仙山市奇石村で生産され始めていたと知られ、我が国への輸入もおそらくは十二世紀中、遅くも十二世紀初頭には開始されていたことが確認されています。