よく知られている「関師壁書」を改めて読んでみました。
関師壁書
茶道に心懸け有る者、親(しん)疎(そ)貴(き)賎(せん)の差別、有るべからざる事
此道に志有もの自(じ)讃(さん)嫌(けん)他(た)致しべからざる事。
吾(わが)師は勿論 たとへ他流の人たりとも 祖たる人の作意趣向
承(うけたまわり)り候(そうろう)事どもよく見 よく聞き侯う事。
乍然(されども)まねをせよといふにはあらず、自心の心得の為すべきと心 得うべき事。
草庵の諸具、露地、懐石にいたる迄、分限相応にすべき事
茶の湯約束の日、無断遅刻 有るべからざる事
湯(ゆ)相(あい)火(ひ)相(あい)大切なる事 茶の服よくよく心得うべし
草庵、其外の諸具に心を用ひ候もみな茶一服のためなれは
呉々も心得申すべき事
茶の湯は平生の心懸これ肝要あるべき也
丁酉九月 片 石 (片桐石州宗關候)判
あえて意訳してみましたがいかがでしょうか。
茶道をしているすべての人は流儀によらず、どのような境遇であろうと等しく同朋と心得ましょう。
茶道に志ある全ての人は自らの流儀におごる事なく、別の流儀だからといって、それは他流がやることだから、自分とは関係ない等と無視する事もあってはなりません。なぜなら全ての流儀が利休居士に発した茶道で有り、何らかの共通性があるからに他なりません。
ですから自分の師匠だけでなく、例えば別の流儀の流祖などが行った「作為」「趣向」「おっしゃったこと」等もよく見聞きしておきましょう。残念ながら他流の先師の言葉の方が「自らの師匠」の言葉より重いことが多いのは世の常です。かといって他流の真似をしろというのではありません。自らの流儀の歴史を深く理解したところから我々の行うべき茶湯のあり方をよくよく調べ研究し、深く考え、その上で言動や行動をおこしましょう。もの知らずは恥の元です。
我ら武家茶道の茶席の道具は、用いるもの全てにおいて「格式=分限相応」を考慮します。たとえ露地に用いる道具や懐石の食器類であっても「武家茶道」を行う格式に鑑み適正で恥ずかしくないように揃えておきます。決して間に合わせや、あり合わせではいけません。それこそが武家茶道の誇りですし、それがなくては「武家茶道」を名乗る資格はありません。
茶事などの約束を軽く見てはいけません。あなたをお呼びすることを何日も、あるいは何年も考えたあげくお呼びしているのだと言うことを深く心に刻み、また今度行けばよいだろう等と、「一期一会」の精神を心得違いすることはもってのほかです。
茶湯でもっとも大事な「服加減」のためにも、炭火を熾し湯を沸かす努力を忘れてはいけません。これは利休居士よりの最も大切な教えで有り、そのためには「炭」や「灰」の重要性を忘れてはいけません。風炉の灰形や炉の灰の手入れは茶人たる必須の条件です。
茶事における全ての《道具》にこれほどまでに神経を注ぐのには全て「ただ一碗の茶を供するため」だけのことです。であるが故に、この一碗に心を込める重要性を深く理解しましょう。
これらのことを総合的に理解した上で日頃からの人生を心掛けることによってすばらしい文化的で教養豊かな生活が送れることでしょう。