佐渡へ行ってきました。

佐渡へご招待を受けて行ってきました。会場に向かう途中 三百五十羽にまで増えたという野生の朱鷺の姿が見えないかとキョロキョロ。ついに四羽の朱鷺が頭上を飛んでくれました。

車中からだったので一瞬でしたが感激。また会いに行きたいものです。


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関師壁書(片桐石州三叔宗関師 壁書)

よく知られている「関師壁書」を改めて読んでみました。

関師壁書

茶道に心懸け有る者、親(しん)疎(そ)貴(き)賎(せん)の差別、有るべからざる事
此道に志有もの自(じ)讃(さん)嫌(けん)他(た)致しべからざる事。
吾(わが)師は勿論 たとへ他流の人たりとも 祖たる人の作意趣向
承(うけたまわり)り候(そうろう)事どもよく見 よく聞き侯う事。
乍然(されども)まねをせよといふにはあらず、自心の心得の為すべきと心 得うべき事。
草庵の諸具、露地、懐石にいたる迄、分限相応にすべき事
茶の湯約束の日、無断遅刻 有るべからざる事
湯(ゆ)相(あい)火(ひ)相(あい)大切なる事 茶の服よくよく心得うべし
草庵、其外の諸具に心を用ひ候もみな茶一服のためなれは
呉々も心得申すべき事
茶の湯は平生の心懸これ肝要あるべき也

丁酉九月 片 石 (片桐石州宗關候)判

あえて意訳してみましたがいかがでしょうか。
茶道をしているすべての人は流儀によらず、どのような境遇であろうと等しく同朋と心得ましょう。
茶道に志ある全ての人は自らの流儀におごる事なく、別の流儀だからといって、それは他流がやることだから、自分とは関係ない等と無視する事もあってはなりません。なぜなら全ての流儀が利休居士に発した茶道で有り、何らかの共通性があるからに他なりません。
ですから自分の師匠だけでなく、例えば別の流儀の流祖などが行った「作為」「趣向」「おっしゃったこと」等もよく見聞きしておきましょう。残念ながら他流の先師の言葉の方が「自らの師匠」の言葉より重いことが多いのは世の常です。かといって他流の真似をしろというのではありません。自らの流儀の歴史を深く理解したところから我々の行うべき茶湯のあり方をよくよく調べ研究し、深く考え、その上で言動や行動をおこしましょう。もの知らずは恥の元です。
我ら武家茶道の茶席の道具は、用いるもの全てにおいて「格式=分限相応」を考慮します。たとえ露地に用いる道具や懐石の食器類であっても「武家茶道」を行う格式に鑑み適正で恥ずかしくないように揃えておきます。決して間に合わせや、あり合わせではいけません。それこそが武家茶道の誇りですし、それがなくては「武家茶道」を名乗る資格はありません。
茶事などの約束を軽く見てはいけません。あなたをお呼びすることを何日も、あるいは何年も考えたあげくお呼びしているのだと言うことを深く心に刻み、また今度行けばよいだろう等と、「一期一会」の精神を心得違いすることはもってのほかです。
茶湯でもっとも大事な「服加減」のためにも、炭火を熾し湯を沸かす努力を忘れてはいけません。これは利休居士よりの最も大切な教えで有り、そのためには「炭」や「灰」の重要性を忘れてはいけません。風炉の灰形や炉の灰の手入れは茶人たる必須の条件です。
茶事における全ての《道具》にこれほどまでに神経を注ぐのには全て「ただ一碗の茶を供するため」だけのことです。であるが故に、この一碗に心を込める重要性を深く理解しましょう。
これらのことを総合的に理解した上で日頃からの人生を心掛けることによってすばらしい文化的で教養豊かな生活が送れることでしょう。

 


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名古屋へ出張でした。

春の終わりを感じるような、暖かい日を迎えております。

先週末は、名古屋へ「灰の講習会」へうかがってきました。受講の方々も熱心に朝から夕方まで取り組んで頂きました。お疲れだったと思いますが、今シーズは是非灰形に取り組んでみて下さい。来月から風炉の季節となります。少しでも灰が身近にそして、気軽に感じて頂けたら幸いです。また、お目にかかれることを心待ちに致しております。

ご希望があれば全国どこへでも出向きますのでお声がけ下さい。


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花見より・・・・

今年は東京の開花、満開が早かったようですが、全国的には寒の戻りのせいか桜も長く楽しめるのでしょうか。

季節ごとの趣向は多々ありますが、桜の季節ほど楽しめるものはないかもしれません。

少庵の「夜桜棗」をはじめ元伯宗旦の「花筏蒔絵炉縁」など古い時代から桜を意匠としたものは数多くあります。これらを材料に様々に楽しむのも茶湯の醍醐味でしょう。


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平成三十一年四月です。

明治この方、四月は年度始めの月、新しい環境で生活を始められた方も多いのではないでしょうか。

今年は改元が行われようとする事もあり、一層心改まることでしょう。新たな「令和」の御代にもお茶が栄えてほしいものです。またこれを機に「茶の湯」を始められた方もいらっしゃてほうしいともおもいます。是非この時期、この機会にと一人(かずと)でも多くの方に「茶の湯」の良さを知ってもらい、「お稽古」を始められる方が多からんことを願っています。

 稽古を始めるにあたっては「良いお稽古場」「良い先生」をお選びになることが「良いお茶」を長く続けていける第一の秘訣でしょう。「良いお稽古場」や「良い先生」というのは一口で言うと難しくはありますが、「茶道」とはその名の通り「道」であり「修道」「修行」が伴います。そして一生かけても到達し得ない境地を目指しつつも決して「完成しえない」物なのではないでしょうか。
たとえ、七十、八十歳になろうと常に「真理」を目指し求道(ぐどう)していく姿にこそ「道」が宿るのではないかと思います。それぞれの段階、年齢で「精一杯」茶道に取り組む姿こそ「良い茶人」であり「良い先生」なのではないでしょうか。そしてその姿を「後輩」や「弟子」に見せて上げることも大切なことだと思います。茶湯の点前だけなら早ければ六、七年で習得することもできます。
実際に七十歳から茶道を始め七十五歳で皆伝を受け、一流一派を引き受けた方までおられます。
お点前だけを繰り返し習い、教える事ではなく「点前の先にあるもの」を日々追い求めていかなければならないと自らも戒めております。
お点前だけで茶の湯が成り立ってるわけではなく、茶の湯には多くの要素があり、あたかも、「一年生」が「字の読み方、書き方」「足し算、引き算」から始まり、「六年生」で卒業する小学生の勉強の様な点前の繰り返しではなく、その先により高度な「中学」「高校」より専門化していく「大学」「大学院」「研究室」と進んでいき、そこで研究に励んでいる先生が「教授」なのではないでしょうか。そして、やがて実社会に出ていく、その全てを見届けて上げられるのが茶の道とも言えないでしょうか。
今年もかわいく初々しい「一年生」が入ってきます。
「希望と期待と不安」を胸に抱いて門を叩いた「一年生」に優しさを以て明るい未来を伝えて上げるのが「先輩」や「先生」の役目ではないでしょうか。

「良いお稽古場の条件」として一つお話をしますと、

一、炭を使って稽古をし、炭手前も重視する。
一、濃茶を練る、飲む事が普段の稽古でなされる。
一、茶会や点前でなく茶事を行うことを目的と考える。
一、少なくとも先生は着物を着て稽古を付けている。

これは一つの私見です。しかしこれを守っている稽古場は確実に「良い稽古」をしていると断言できます。
また、逆にカルチャー教室では出来にくいい稽古です。茶を嗜(たしな)もうとする人が入り口としてカルチャー教室に通うことはけして悪いことではありません。しかし長年そこで勉強したあと、もっと深い茶の湯の世界があることを伝えることの出来る稽古場があり、そこへ誘(いざな)うことが出来る状況を持っていてほしい物です。
亡くなった師匠の教えの一つに「どんな稽古場でもおいしいお茶とおいしいお菓子は用意できるはず、生徒たちのために、それだけは用意して迎えてあげなさい。」と。
この条件が満たせる心掛けがあるなら必ず「良い稽古場」になること請け合いです。


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