見立てるということの難しさを知る。

いよいよ今年も二週間を切りました。十二月は行事も多く趣向も多い月の一つです。
とは言え、20日を過ぎると「クリスマス」を除けばいよいよ年越し大晦日ぐらいしかかないかも。
クリスマスの趣向には「見立て」として海外のものを多く使うこともあるでしょう。しかしながら見立ても本当は高度な取り合わせの一つです。
あり合わせや単に海外のお土産では人を感動させることは出来ないでしょう。歴史的背景や使う道具としての機能や芸術性の高さなど見極めた上で取り合わせる必要があると思います。茶湯とは使用できる美術品を取り合わせることにその醍醐味があるのではないでしょうか。
かつて益田鈍翁が用いた「セーブル窯」の水指は深紅と金のコントラストが美しいワインクーラーを見立てたもので、さすがに美しくあこがれもしました。こんな見立てであれば誰もが納得できるものでしょうし、これくらいに難しいのも見立てというものの本来の姿ではないでしょうか。


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京都でした。

暮れのご挨拶で京都へ行ってきました。
京都もなかなかに寒かったのですが、有意義な一日でした。


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師走です。

今年も、というより平成も残りわずかとなってしまいました。

十二月の稽古道具を出していましたら、暦手の茶盌に昭和の御題が全て書かれている物がありました。月日の流れを感じます。

今日はことのほか暖かく、二十度越えの地域もあったようです。さすがに師走ですから日の入りは早く四時過ぎには暗くなっていましたが。

この時期に試みたいのが「夜咄茶事」ではないでしょうか?日没が早いので午後四時過ぎからはじめても明かりの演出は楽しめますし、二時(ふたとき=夜咄茶事は四時間ぐらいかかるので)経っても午後八時頃と比較的早く追われるのも都合がよろしいのでは、と思います。

最近はなかなか行っていないので、一度考えてみたいものです。

織部唐人燭台と玄々斎在判書付、樂家 9代 了入阿蘭陀写小灯

織部唐人燭台と玄々斎在判書付、樂家 9代 了入阿蘭陀写小灯

 

 


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開炉には「ぜんざい」

早いもので、十一月もまもなく終わろうとしています。炉のお点前には慣れましたか?
遅ればせながら、開炉につきものの「ぜんざい」についてお話をします。
先月、出雲へ松平不昧公の記念茶会に出向いて参りました。
そこでは頂かなかったのですが、皆が「出雲ぜんざい」を食べたい、等というので「へー」
と思っておりました。

後日、出雲の方から「神在餅」という物を頂きその由緒知りました。
ご存じの通り旧暦の十月は出雲地方では「神在月」(かみありづき)となります。
この折りのお供えとし、また皆で頂く物に「神在餅(じんざいもち)」があります。
小豆を煮た物の中に紅白の餅を入れ供されます。この「神在餅」を地元のネイティブの方が発音すると「ずんざいもち」となるようです。
時は室町時代、かの一休禅師もこの「ずんざいもち」を召し上がったそうで、あまりのおいしさに「善哉(ぜんざい=良きかな)」といったとかいわないとか。
以来京都でも旧の十月に「ぜんざい」を頂き、宮中の「玄猪餅(げんちょもち)」の風習と重なっていったようです。
茶家ではやがて開炉の日として宮中に習い、最初の亥の日に炉を開き、火伏としました。

その後、神在餅と玄猪餅があわさり、お菓子として「猪子餅(いのこもち)」が現れます。

開炉の時期には善哉、猪子餅いずれかが喜ばれるようになっていきます。


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先日、映画「日々是好日」観てきました。
お茶を習ったことのある人なら誰もが頷けるシーンの連続。
樹木希林さんのお茶の先生は流石だなと思いました。
僅か、数ヶ月の習得で「お茶の先生」になりきれるあたり、役者さんは凄い!
あんな先生、いるいる、と思わせてくれました。
仕事柄、使われた道具に目が行ってしまいがちでしたが・・・。
前半、風炉の釜に炉の柄杓が置いてあってどうにも。途中から直してました。

全体としては、落ち着いた雰囲気の中で、淡々と月日が流れていく中で、人生と茶湯が重なり合うという、良いお話でした。原作は16年前に読んでいたのですが、この映画ではとてもよく、表現されていたように思われます。これをきっかけに、お茶に興味を持たれ、習う方が増えると良いですね。


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