明日から茶湯・晴山秋の大茶道具店・25周年記念大会開催です。
茶道具総数は750点に及んでいます。
もちろん晴山の目でさらにセレクト。貴重な茶道具の数々か並んでいます。
楽家歴代では、長次郎、常慶、道入 三代が黒楽茶碗で・・・。など見所が豊富です。
会期は11月8日(金)までお急ぎください。
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会期は11月8日(金)までお急ぎください。
この時期、流儀を問わず多く用いられる点前に「中置」があります。
風炉釜を点前畳の中心に据え点前をするのですが、おそらく、その理由として「火の恋しい時期なので」火の見えるような風炉を使用し客に近い方へ寄せるのだ、とお聞き及びかと思います。
しかしながら、本来台子の中で「火の間」とも言われる定位置を占めているはずの風炉を中央に移動させた本当の理由は何でしょうか。
何れの流儀も台子の点前は皆具で行うのを原則とします。台子では本来全ての道具が唐物、名物ですが、やがて侘茶の普及により「台子にのせるほどの物ではない」道具などは徐々に「長板」へ移行され「杓立」や「建水」が板の上から外される事もあります。
そうすると逆に長板に残った物、載っている物が「名物」もしくは「拝領品」という事を示すようになります。
「炉の長板一つ置き」という点前は「長板に水指のみ中央にのせて扱う点前」ですが、この際、水指は「名物級」ということになります。
ひるがえって「風炉の一つ置き」は「長板に風炉釜だけ載る点前」ですので「炉の長板一つ置き」同様に「風炉釜が名物並」になり、必然的に「長板中央」に据えられることで発生する点前になります。
このように道具の取り合わせにより台子から道具がおりてしまうことに関しては「南方録」中「中板」の項目が詳しく、水指を長板にのせない点前の始まりを伝えております。
縷々述べてきましたが、風炉を道具畳の中心に据える点前即ち「中置の点前」はたとえ侘びた風情であっても「台子、長板」がその原点であるが故に、ほとんどの流儀では台目席など「小間」ではしないことになっています。
となると、前述の「風炉長板一つ置き」の点前は通年で行われる物ですが、「中置」の点前は開炉の寸前、極侘び、名残の時期に限られるのはなぜでしょうか。
最初に書いたように「火の恋しい時期なので客に近い方へ風炉を寄せる」意味合いは大いにあるのですが、それであるのなら、いっそ「風炉を客付に置いてしまえ」ば本来の目的を達するにたやすくはないでしょうか。
実際に客付に風炉を置く記述は江戸初期の書物に記載されています。
ではなぜそうしないのか、と言うと、火を近づけるという目的はむしろ二次的な理由で、名物すなわち今日の一番のご馳走は中心に置かれる形を踏襲した物と考えると「火、のみがご馳走」だといえるような「侘び」の形を表したものではないでしょうか。
「火だけが名物」なので中央へ据え、風炉釜とも名物と言うより「侘びた風情」の物、というように「無一物」の世界を感じさせる物だったのではないでしょうか。
ただし、それを侘びの空間である「小間」へ入れず、書院茶の形式である「中置点前」に仮託することによって、しぼたらしくならぬようまた、本来の「名物扱い」の形式を残すよう努めたのではないでしょうか。
これが、「眞中の草」「草中の眞」ということでしょう。
この点前によく用いられる「大板」「半板」も台子、長板から派生した物で、台子の奥行き四方が「大板」風炉用の長板の半分が「半板」の寸法です。中置水指の際用いるのに都合がよいのですが、通常の点前に使用しても差し支えありません。
「地板を大板」「天板を半板」のサイズとし焼杉でしつらえ、「三本の竹の柱」でつないだ「風炉を置く棚」としたものが裏千家、玄々斎好み「五行棚」です。ただし古くは「中置点前」のほか「常据」または「炉用に水指棚」として用いたことが圓能斎の古書に見えます。
また、圓能斎好には利休好竹台子を三本柱とした「五行台子」もあります。扱いは五行棚と同じです。
「中置の点前」といえば中置水指即ち「細水指」の使用が一般的ですが、あまり古い例が見られず「廬瀑(ろばく)」という表千家伝来了々斎書付の朝鮮唐津一重口水指が知られるぐらいであり、あまり時代を遡らない物ではないかと思われます。
表千家九月十三日の「天然忌」は七世如心斎天然宗左の命日の行事です。このとき家元では「利休好竹台子」に「唐銅鳳凰風炉」「富士釜」を「中置」に「了入赤樂山梔子(くちなし)中置水指」という如心斎の好の取り合わせにすると聞いております。中置を真夏の取り合わせとしても用いる遠州流の様な(勿論、真夏だけではない)流儀もあるのですが、詳しくはまたの機会に譲ることとします。
逆勝手の点前などなかなかすることはないはずですが、
修練として行うには、おもしろいものだと思います。
表千家の方にいわせると「広間の逆勝手などするものじゃない」
といったご意見もあるようですが、
実際に茶室がそうなっていれば 致し方ない訳です。
実際に逆勝手の広間の茶室は存在しないのでしょうか?
利休が東大寺四聖坊に建てたという茶室は
四畳半の逆勝手でした。四畳半は広間、小間どちらとも属さないのですが、
広間としての活用ができます。
この茶室は利休初期のものといわれ紹鴎の茶室に酷似していました。
当時は「右勝手」とよび、
本勝手である「左勝手」と同じように用いられていたようです。
利休の茶湯が完成に向かうと徐々に「左勝手」が主流となり
やがて「本勝手」と呼ばれるようになったようです。
基本的に和室は障子や襖で仕切られていますので、
いろいろなところから出入りができます。
いわゆる茶湯でいう広間はこのような構造の和室でしょう。
故に無理に逆勝手をしなくとも「本勝手」として用いることができるのです。
逆勝手は客にも「逆勝手の作法」を強いるものとなり、この辺は流儀によっても
本勝手に比べ大きく動作が異なる場合もあります。なかなかに迷惑なものです。
ですから、大寄せの茶会など広間を多用し、様々な流儀が訪れる場合など
あえて、逆勝手を試みることは敬遠されるのが一般的なのです。