茶湯とは 「興味はあるけど・・・茶湯を知って広がる世界」
イメージは古いけれど 中身は新しい
茶湯に興味にある方は少なくないと思います。
でも踏み出すにはなんか「敷居が高い」気もするし・・。
まずは少し茶湯の世界を覗いてみましょうか。
〇茶の湯のイメージって?
ところで、茶湯にはどんなイメージをお持ちですか?
というを調査したところ、
次のような結果が出てきたそうです.
・日本的な感じ
・女性的な感じ
・優雅でおしとやかな立ち居ふるまい
・おいしいお茶とお菓子
・着物が着られていい
・堅苦しそう
・たくさん決まり事がありそう
などなど。
今では、そのようなことはありませんが、確かに、一昔前まで、お茶、お花といえば花嫁修業というイメージが強くありました。
女性の稽古事として、日本的、古典的、女性的というイメージがついて回っているようです。
そういう目で見ると、 茶湯はたくさんの決まり事はありますが、 一方で、とても新しく、自由なものです。スポーツも同じ、 ルールを知って観たりやったりする方が楽しいはずです。
また歴史を見ると、
つい最近まで茶湯は男性のものでした。
戦国時代の信長や秀吉、江戸時代の大名や町人たちや、
明治・大正期の財閥と、常に時代の先端を行く人たちの
新鮮な感覚によって支えられ、磨かれてきた、
最先端の文化だったのです、
〇茶湯に何を学び 何か身につくのか
現在の茶湯は、一般的には稽古事の一つとして
位置づけられることが多いようです。
しかし、幅の広さと奥の深さでは、
他の稽古事や伝統芸能にくらべて群を抜いている
といっても過言ではないでしょう。
茶湯を通じて学べることをランダムにあげてみると、
・お茶を点てる手順(点前)
・おいしいお茶の点て方
・もてなしの仕方、もてなしの心
・物をたいせつにする心(道具=美術品の扱い)
・美しいしぐさと立ち居ふるまい
・礼儀作法
・忘れられかけている日本の文化(伝統文化全般)
・日本料理とその作法の基礎
・四季の楽しみ方
・茶花
・日本の歴史(お茶の歴史、茶道の歴史、人物史、工芸歴史)
・人間の生き方 などなど、
こうしてみると、茶湯は単に点前を学ぶだけでなく、
あらゆる日本の生活文化を包合する稽古事
といってもよいでしょう。
単なる技術を習得するだけではなく、
自分自身がどのように興味を持って、
どのように茶湯にかかわっていくか、
この課題に真剣に向かい会うことによって、茶湯は
一生つづけられる趣味として
大きく成長させることができるように思います。
〇茶湯は総合伝統文化芸術
茶湯は点前のほかにさまざまな分野の美術、
工芸、技術などがかかわってでき上がっています。
ですから 日本人の生活の中で
関係ないものをさがすのがむずかしいほどであり、
総合文化、総合芸術といわれるゆえんです。
などが主な物ですが、
さらには文学(詩歌、東洋古典文学)他の古典芸術(能、狂言)
宗教(掛物の禅語など)といった教養一般、
炭、灰、料理、菓子、茶業、花もたいせつです。
また、現代では、着物が日常着ではなくなっているので、
和装や着付けの知識も必要になってきました。
茶湯では、これらのものが独立してあるのではなく、
季節感やテーマ(趣向)を軸として、
全体の調和を保ってとり合わせられることも
たいせつなことなのです。
〇歴史を体感する
茶湯では古い道具がたいせつにされます。
もちろん新しい道具も使われますが、
何百年も前の古い道具もも実際に使われたりします。
茶湯では、どうして古い道具が大事にされるのでしようか
これらの古い道具は、利休をはじめ、
茶湯の先達たちの所持したり、好んだり、
手作りした道具が現在ににわっているものです。
茶事・茶会で使われると、実際にその道具でお茶をいただいたり、
手にとって拝見したりすることができるので、
時間を超えて先人の手にしたぬくもりを
直接に感じることができるのです。
歴史上の茶人が手にしたであろう茶器で
茶が味わえると言うことなのです。
茶湯の道具が単なる古い美術品とぱ違い、
たいせつにされるのはこのような理由で、
道具が生きている証拠です 茶湯では、
過去、現在・未来が一本の糸でつながっている
といことができるのです。
〇茶湯の心を生かす暮らし
茶湯の点前を見ていると、現実離れしているように見えますが、
その中には現代の私たちが学ぶべきものがたくさん含まれています。
たとえば、点前の中には、物をたいせつにする心、
美しい、むだのない動作、
合理的で美しい道具の配置の仕方、
あとかづけのたいせつさ、相手を思いやる心などが生きているのです。
たとえば、人より先にお茶をいただくときには「お先に」と挨拶し、
感謝していただく、という基本的なことでも、
ふだんの暮らしにとり入れると、動作も美しくなり、
周りへの思いやりや心のゆとりが感じられるように思います
また、点前が上遠するに従って自然に所作が美しくなり、
物の扱いがていねいになります、
何かをするときに、必要なものをあらかじめそろえたり、
順序を考えたりということも暮らしにとり入れたいことです。
稽古を通じて言葉づかいもきれいに、礼儀正しくなり、
人への気配りができるようになるというのも茶湯ならではのメリットです。
お茶を点て、お菓子を食べ、お茶を飲むことを通じて、
さまざまな日本文化に興味を持ち、
茶湯の心をふだんの生活に生かすことで、
心がますます豊かになれる、それが茶湯ではないでしょうか。
〇どんな門からも入れるのが茶湯なのです
まずは、入りやすいところから
茶湯の門をたたいてみましょう。
たとえば、近くの茶会に出席して、
茶湯の雰囲気をちょっと昧わってみるのも
よいでしょう。
美術館、博物館めぐりや展覧会へ行き、
茶湯の道具の美しさにふれてみるのも
すばらしいことです。
ひょっとしてこのページにたどり着いた人の中には
「へうげもの」や「私は利休」など
マンガやアニメから興味を持たれた方も
いらっしゃるかも知れませんね。
もちろん自己流でもあなた自身で
とりあえずお茶を点ててみるのも一つの入口
かも知れませんし、それも大変よいことでしょうが,
いっそのこと、よい先生をさがして、
実際に点前の稽古を始めてみてはいかがですか。
とにかく何か行動してみることで、
茶湯はきっとあなたに新しい視野を
開いてくれるに違いありません。
〇まだ少し躊躇しているあなたへ
確かに茶湯の世界に踏み込むにはいささかためらう要素もあることは理解できます。
先に述べたイメージの中にも「堅苦しそう」や「たくさん決まり事がありそう」などが上げられています。
京都にあるような高級な料亭で食事をする。
あこがれではありませんか?
そんなところで楽しげに会話をしながら、
何気なく食事をする人々は確かにかっこいいのです。
そんな人々は、なにげに茶湯の心得があることが多いのを御存知でしょうか。
「でも、何か決まり事が難しそう・・。お茶を習っただけで大丈夫?」
そんな「決まり事」をいとも簡単に習得してしまっているのが
「茶人」と呼ばれる人たちです。
〇畳の上で正座?正座が苦手なのですが
現代ではいすの生活か主流ですから、
正座ができないのはあたりまえです。
先生もよくご存じですから、
初めは無理をせずに、
足がしびれることを申し上げて、
じようずに足をくずさせていただきましょう。
ほとんどの先生はそのつもりですから大丈夫。
ただし、
お菓子とお茶をいただくときは正座しましょう。
そのうち、しだいに長い時間正座
できるようになりますから
安心してください。
〇お茶って「着物」でするもの?だって着物もないし
稽古は洋服でもかまわないという稽古場が大部分です。
しかし、茶湯はもともと着物を着て行ったものですから、
着物のほうが所作にも合っているし、
気持ちもしやんとします。
茶会や初釜は着物で出席するようになりますから、
それまでに着物を着慣れておくのも稽古の一つです。
これは私見ですが、
着物を着て「茶人のコスプレ」でお稽古をする、
そんな乗りでもいいと思います。
最近は「古着」に抵抗のない人たちも増えていますし、
男性も着物でお稽古としゃれてみて下さい。
多くの入門書には洋装の場合「白ソックス」を勧めていますが、
どうせ履き替えるのなら、足捌きを考え
「足袋」に替えるだけでも良い稽古が出来ますよ。
〇茶湯は年寄りの趣味?
茶湯は一生楽しめる趣味の一つだと思います。
むしろ歳を重ねるに従い、
深めることが出来る習事です。
それぞれの年齢に合う、楽しみ方が出来るのです。
近年はかつてブームであった時代に習った人々が高齢化する中で
茶道を続けてもいますので、「お年寄りの趣味」に見えるかも知れませんが、
けっしてそうではありません。
かくいう私も「小学四年生」からお茶を始めていますし、
十代から茶湯を始める効用は多くあります。
ただ、子供だけでするのではなく、実は家庭環境も大切な要素です。
お子さんが興味を持ち、茶湯を始められたなら、
少し大変かも知れませんが、親御さんも一緒に稽古に通って頂きたいのです。
不思議なことに、新たな親子関係が生まれます。
今までの親子から、稽古場では兄弟弟子ということになります。
そのことによりお子さんは大きな自信を持ちきっと成長されることでしょう。
逆に親御さんが師匠。これはなかなか難しようで、
むしろ、自ら教えるのではなく、いっそ、ご自身の師匠につかせて方がよいかも知れません。
お子さんの話ばかりをしましたが、いくつから初めても
茶湯は、早い、とも遅いともいえません。
これは禅宗を一つの教義理念としていることから分かるように
突発的に悟りが開ける世界でもあるので、
若い、年寄り、の区別がないのだと考えられます。
〇茶湯の門 (よい稽古場、よい先生に巡り会うために)
では、どんな稽古場、先生に入門したらいいのでしょうか?
近年はカルチャー教室などで気楽に体験できたりしますが、
やはり、深くしっかりと身につけるには
ちゃんとした先生につくことが良いでしょう。
稽古事では、一度先生につくと簡単に変わることができませんから、
慎重に選ぶようにしたいものです。
お茶では、茶湯を通じて、
広く心を通わせていただける先生をさがしましょう。
点前の順庁を教えてくださるだけの先生は、
長くつづけているうちに飽きがくるものです。
すでに稽古を始めている人に聞いてみたり、
稽古場の見学をさせていただきましょう。
「良いお稽古場の条件」として一つお話をしますと、
一、炭を使って稽古をし、炭手前も重視する。
一、濃茶を練る、飲む事が普段の稽古でなされる。
一、茶会や点前でなく茶事を行うことを目的と考える。
一、少なくとも先生は着物を着て稽古を付けている。
これは一つの私見です。
しかしこれを守っている稽古場は確実に
「良い稽古」をしていると断言できます。
また、以上の条件は逆にカルチャー教室では
行いにくい稽古でもあります。
茶を嗜もうとする人が入り口として
カルチャー教室に通うことはけして
悪いことではありません。
しかし長年、そこで勉強したあと、
もっと深い茶湯の世界があることを伝えることの出来る
稽古場があり、そこへ誘うことが出来る状況を
持っていてほしいものです。
亡くなった師匠の教えの一つに
「どんな稽古場でも
おいしいお茶とおいしいお菓子は用意できるはず、
生徒たちのために、
それだけは用意して迎えてあげなさい。」と。
この条件が満たせる心掛けがあるなら必ず
「良い稽古場」になること請け合いです。
〇少し理屈を知るとわかりやすいこともある
稽古が進むと、さまざまな「なぜ」が出てくるはずです。
中には先生に聞きづらい疑問も出てくるかもしねません。
「なぜ、こんな動作をするの」「どうして簡略化してはいけないの」などなど
そのような疑問も、わけを知ってみれば、理にかなっていて、
なるほどと思うことが多いのです。
事柄によっては、理由を知ったほうが覚えやすいのです。
なにしろ、四百年もの間につくり上げられたことですから、
当然といえば当然かもしれません。
古書をひもといてみると、昔の茶人もなかなか
理屈っぽかったことがよくわかります。
もちろん、稽古場での理屈はいただけませんが、
さまざまな「なぜ」も、勉強の一つとして大事にして、
茶湯の楽しみの一つにしたいものです。
稽古場だけで解決しにくい問題や、
もっと深い興味のある時には「晴山茶湯塾」へお越し下さい。