「茶筅」
どんなに名人でも「茶筅」がなければお茶は点てられません。
流儀にあった、使いやすいものをお求めいたたくことが第一です。
茶筅は消耗品ですが、茶事や茶会以外、
普段使いやお稽古なら手入れをした上で繰り返し使えます。
竹は生ものですので、割れたりカビが生えたりすることがあります。
使用後の取扱として、茶筅に着いた茶の残りなどを充分に落とし、
「茶筅直し」などを利用し形を整え充分に乾燥させ
風通しのよい涼しい場所に保管するとよいでしょう。
「晴山おすすめ 谷村丹後の茶筅」
大和高山の茶筅造は慶長年間に官許となりました。
正徳6年(1716)には茶筅師13家が高山藩により士族とされます。
その中の一家である谷村家はそれ以来、代々「丹後」と名乗ることを許され、
今は19代を数える茶筅師名家です。
裏千家御家元では谷村丹後の「真穂茶筅」を使用されています。
茶筅の中の真ともいうべきものです。
裏千家の御家元ではこの丹後の
「真数穂茶筅」を「濃茶」「薄茶」「茶箱」の全てで用います。
他の形は用いません。穂の数は64本前後。
穂の腰も強く長持もします。
茶筅の中の真ともいうべきものです。
裏千家の御家元ではこの丹後の「真数穂茶筅」を「濃茶」「薄茶」「箱」の全てで用います。
他の形は用いません。穂の数は64本前後。
穂の腰も強く長持もします。
晴山オリジナル
表千家など、本来は 煤竹茶筅を用いる流儀や点前がありますが、
煤竹は今や貴重な資源、そこで黒竹を「真数穂」の形で別注、制作していただきました。
普段のお稽古には充分な雰囲気と強度があります。
「濃茶」「薄茶」どちらにもお使い下さい。
江戸時代から、石州流茶筅の中の真ともいうべきもので
「濃茶」「薄茶」「茶箱」まで全てこの「白糸真数穂」で行います。
かがり糸が白糸なのは、一度使うと変色してしまうことで未使用の証であり、清潔の象徴ともなりました。
大和高山と片桐石州の領地、大和小泉は近く、片桐家から直接、茶筅の注文もなされていたようです。