石州流、しっかりと流儀の茶の湯を知るためにも。
稽古場において極端に風炉釜の種類が少ないのが石州流でしょう。
まずは「鬼面風炉」これさえあれば、と思ってらっしゃる方がほとんどのようです。
大きな稽古場では鬼面風炉がいくつもといった例は少なくありません。
他は「朝鮮風炉」・「琉球風炉」といった切合風炉のバリエーションがある程度です。
本当に石州流はそれで良いのでしょうか?
これからの石州茶人には最初に持つのは「鬼面風炉」からではないことを希望します。
多くの先輩方が持っておられる「鬼面風炉」は江戸時代には「台子風炉」とも呼ばれ、儀礼的な茶の湯にのみに用いられましたので「初めに持つ風炉釜」としては当店としては積極的にはお薦めしていません。
武家茶道では「鬼面風炉」の使用は比較的多いのですが、所持するとしても一口あれば十分で、二口目からは別の物がよいでしょう。
ましてや、最初はお稽古用で安価な鉄の鬼面風炉、後からやや高価な唐銅の鬼面風炉、という揃え方は勿体ない方法です。同じ形の物をいくつも持っても無意味です。
もちろん、石州流では「石州好、唐銅鬼面風炉真形釜添」がありますが、名越弥五郎の本歌は唐銅皆具と対をなし、台子、長板に用いるものとしています。
確かに石州流では台子長板の点前は多いのですが、茶事茶会にまで全てで用いるというのはその本意や、趣き、趣向の面からも感心しません。
こういった理由から、たとえ石州流であっても、茶湯・晴山では「五徳に据えて用いる風炉」のほうが最初に持つ釜としてお薦めします。
現在行われている茶の湯は武家茶道であっても「侘茶」を目指しています。
流儀を問わず、儀式的な切合風炉釜の物よりも「炭手前」の点からも五徳据えの釜を優先した方がお薦めできると思います。と釜の項目でもお話しをしましたが、風炉についてもおなじなのです。
基本を「前切り」と考えること。(好土風炉・道安風炉があるという意味。)
「でも先生や廻りの先輩は「鬼面にしなさい」と仰います。」確かにそうでしょう。しかしその方々はどこまで石州公の茶の湯を後存意なのでしょうか?
実は石州公も多く風炉用の釜の好を作らせておられます。これらは決して「切合」用ではなく、五徳に据える釜を好んでおられます。
風炉に関しても多くの切り形を残され、その一つが、菩提寺でもある大徳寺高林庵(芳春院内)に残されている「石州御好土風炉の切形」です。
この例を除いても、石州の道統をたどれば、石州流の使うべき風炉の形が明らかになります。
石州の茶の師匠は桑山宗仙です。その師匠は「千道安」であることは石州茶人なら誰もが御存知でしょう。その千道安が好み、その名を冠した「道安風炉」を用いないとしたら、まさに流儀としての名折れではありませんか?
ですから石州公好の風炉を持たずとも、世間に数多く存在する「道安風炉」をどんな形であれ所持しない石州茶人とは誠に恥ずかしいといえるでしょう。
もちろん、その父親であり、茶人として、その存在を無視することが不可能な「利休」が好んだとされる「面取風炉」も同様でしょう。
この存在と使用を無視して「石州流」は成り立たないといって言い過ぎにはならないはずですし、これを無視するのは「愚」の一語に尽きると言っておきましょう。
「石州流が用いるのは鬼面風炉だけ」などと宣うことは流祖、石州公の先師にも背くことにもなるのです。
ここにお薦めの風炉カタログがあります。
まずは、唐銅もありますが、本来は土風炉です。
茶湯・晴山では本格的な逸品物から、お稽古物まで幅広くご用意しております。