「和物の施釉陶器」の花入を「行」の格で扱うのが基本です。ただし、和物施釉陶器の花入が登場するのは「唐物」の花入や後に説明する「焼締花入」に比べるとかなり遅れることとなります。
施釉陶器で日本で一番古いものが瀬戸焼とされていますが、瀬戸の古窯時代の花入はあまり目にしません、日本での青磁を目指していた「黄瀬戸」などが現れようやく和物の花入が登場しますのは、この時代まで床に上げるものといったら唐物が中心だったせいでしょう。
美濃窯で焼かれた「志野」は染付を目指したものとして現れたようでそれぞれの形を写したかと思われるものがあります。
同時代、同地域で焼かれた「織部焼」の花入はまず見かけることがなく、古田織部の花入は「美濃伊賀」と呼ばれる新たな焼き物でそのイメージを開花させます。ただ、その名の示すとおり伊賀焼に近い物として「草」に扱うほうが一般的です。
その他「唐津」などで焼かれた物もありますが、古い時代の物は数は少ないようです。
近世に入り各所で焼かれるようになり「萩焼」や様々な国焼の花入れが登場するようになります。
「楽焼」の花入も釉は掛けてありますが「行」に扱う場合と時によっては「草」の花入として扱います。利休以降様々な形が有ります。