竹花入
「草」の花入の代表としてはやはり竹の花入でしょう。
利休の師、紹鴎がすでに「洞切」という竹の花入は創作していましたが、利休晩年小田原攻めの折秀吉に随行し韮山の竹をもって一晩のうちに三本の花入を削りその一本を秀吉に献上したところ秀吉はいたく不機嫌にその花入を庭へ投げ捨て花入にひびが入ってしまった、という利休と秀吉の美観の差が現れ初め亀裂が生じ始めたころの逸話がありますが、秀吉にえらく不評を買った竹の花入ですが、利休は死までの一年間にも多くの竹の花入を切っていますし後世多くの茶人も花入を切っています。
竹の花入も「人格」を見出すための道具ですから職人が作ったものと異なる格調を備えた物なのです。お人が現れていなければ竹の花入としての意味はありません。