ここで少し茶の湯道具の世界を歴史上から読み解いてみたいと思います。詳しい茶道史は他に譲るとして大まかな茶道の流れをお話ししましょう。
中学校の新しい歴史教科書では「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう、(中略)数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。」と書かれています。
茶道史の掘り起こしは近年になってようやく端緒についたばかりといっても良いほどです。「昔からこう言われていた。」の「昔」は「いつ頃(今から何年ぐらい前)?」を明らかにしていくべきかと考えます。
茶道は昔の事を伝わったまま教わってきたと考えがちです。しかしまったく全てを残らず伝えたものでしょうか。利休が茶の湯のすべてを完成させたのと考えがちですが、そこから派生した三千家やその他の流儀の点前が違うのはなぜでしょうか。
「利休」の伝書とされ三百年間信じられてきた「南方録」は近年では発表者である「立花実山」の創作説が有力です。
永年、「唐津焼」と信じられていた水指が「高取」で焼かれたものと最近窯跡の発掘で証明されたりしています。
また逆に「加藤唐九朗」氏が一度は否定した「唐物茶入」が極近年、中国本土で窯元が発掘されたりもしています。
茶道の世界でも日々新しい事実が明らかになっています。
なるべく最新の情報を手に入れるよう努力したいと考えています。