(茶の湯の始まり、鎌倉時代~室町、北山東山文化の時代)
その後、本朝においては南甫紹明(大應國師)が入宋しその後、帰朝の際、台子一式を持ち帰り茶礼をも伝えた(AD1267年)と言う伝説があります。
台子は畳に置き正座などをして扱うのに適した茶湯棚であり、日本の発明品であることが確定しています。
禅宗寺院の中で茶礼として「四頭茶礼」が定着していく一方、外でも新たな喫茶法、唐物賞玩の時代に入っていったとも考えられます。
南宋や元時代の茶入や天目茶碗、青磁の香炉、花入などが1320年代に沈んだとされる船の中から発見されています。国内でも芦屋釜が造られ出すのも鎌倉時代です。
室町時代、南北時代を過ぎ足利義満が1401年、明との貿易を開始、民間での唐物輸入のみならずますます唐物の輸入が盛んになります。勘合貿易が盛んになり上流階級での唐物趣味全盛の時代、茶道具のみならず、様々な文物が中国からの輸入品で飾られるようになっています。
その後、茶湯は「賭事」の対象にもなります。
皆様ご存じの太平記の「佐々木道譽」に代表されるバサラの茶ともいわれる、闘茶の始まりです。唐物を飾り、多くの文物を賞品として「闘茶」が行われやがて「会所の茶」に発展していくようになっていきます。
賭け事を成立させるためにも、客の目の前で点茶をする方法が生まれ「点前」になった、という説もあります。
そんな中、「同胞衆」という将軍の世話係のような仕事から一種の「ブレーン」集団となっていく人々の中から茶湯を司る親子が登場します。
毎阿弥、能阿弥、芸阿弥、相阿弥親子四代に亘り「君台観左右帳記」「御飾書」など唐物茶道具の使われ方を書き残す人たちです。ここで使用された茶道具はすべて唐物と言って良いでしょう。