(禅語・一行物)
一方禅院での茶湯には中国高僧の禅語を掛けることが多かったと思われ、一休から珠光へと伝わる「圓悟の墨跡」をはじめとして「無準師範」「虚堂智愚」「密庵咸傑」「古林清茂(茂古林)」らの「宋」「元」の中国僧、「兀庵普寧」「蘭渓道隆(隆蘭渓)」「一山一寧(寧一山)」など中国からの来日僧、「南浦紹明(大應國師)」「宗峰妙超(大燈國師)」「夢窓国師」「一休宗純」等日本の禅僧の物などが用いられていますが、「一行書」は一山一寧や兀庵普寧、夢窓国師、一休宗純などに散見する程度で「法語」「偈頌」がほとんどです。ただ、一行書は殊に一休が衆生のため難解な法語を示すより、その中の一行取りだし解くほうが容易であると考えよく用いられたと考えられますし後の茶湯に大きな影響を与えます。一休の「諸悪莫作」「衆善奉行」(悪いことはするな、良いことをしなさいと言う意味)の一行書はあまりにも有名です。
ほかには字数の少ない物は「授号」「額字」という名前に関するもであったりします。また、「遺偈(ゆいげ、禅僧の遺言)」「尺牘(せきとく、禅僧の手紙)」「送別の語」などがあります。
先の南方録の続きには「墨跡を第一とす」とあります。この時代までの墨跡はこれら、宋、元の中国僧、鎌倉、室町初期の禅僧の物を指しました。
ところが変革の人、利休が同時代の禅僧「春屋宗園(大徳寺111世)」の一行書を掛けるという事をします。
在世の和尚の掛け物を掛けると言う事はそれまでになく同時代の「古渓宗陳(117世)」等から盛んになり茶湯に掛ける為にしたためられるようになります。
以後、「玉室宗珀(大徳寺147世)」「沢庵宗彭(153世)」「江月宗玩(156世)」「天祐紹杲(169世)」「清巌宗渭(170世)」「江雪宗立(181世)」「江雲宗龍(184世)」「玉舟宗?(185世)」「翆巌宗珉(195世)」等の書は墨跡として尊ばれます。
やや時代が下り江戸時代中期から後期にかけ活躍する「怡渓宗悦(253世)」「大心義統(273世)」「大龍宗丈(341世)江戸後期から幕末では「 無学宗衍(378世)」「宙宝宗宇(松月和尚418世)」「大綱宗彦(435世)」等の和尚方の書は人気があります。