万葉集や古今和歌集に始まる「古筆」は勅撰や私撰の和歌集を能筆かが書き留めた巻物、帖などを分断して掛け物とし鑑賞する物で「古筆切」と呼ぶのは分断した事による名称です。「寸松庵色紙」「継色紙」「八幡切」「石山切」「高野切」等があります。古筆切の書かれた年代としては10世紀から14世紀の所産であり、おいそれとは入手はおろか茶席で見かけることも稀でしょう。
「懐紙」はこの場合皆さんが茶席に持っていく物ではなく、文字通り懐中した日用の紙に、詩や歌を書き留め後に掛け物となった物です。藤原佐里の「詩懐紙」に始まり後鳥羽上皇の頃の「熊野懐紙」は高く評価されます。「懐紙」が「古筆切」より身近な気がするのは江戸時代に入り、作者として各歴代天皇の「御宸翰」をはじめ公家衆、更に僧侶や茶匠、数寄者にまでその範囲を広げるからなのです。紹鴎が「小倉色紙」を掛け利休もそれを模していますし、「熊野懐紙」に細川三斎が箱書きもしています。遠州は「寸松庵色紙」を盛んに用いています。
「消息」とは手紙のことですが、茶掛けに用いる場合、筆者としてまず「利休」を嚆矢としあとは尊敬に値する茶人であること条件で、内容としては茶に関する記述があり、和歌や俳句など入った物は喜ばれます。
「色紙」「短冊」も掛け物として用いられる物は「懐紙」などと同じ背景による物です、これらは「本席」より「待合掛」として真価を発揮する物が多いようです。