次に一番身近な大徳寺系の軸の落款や署名の見方を説明いたしましょう。大徳寺は臨済宗大徳寺派大本山であり山号を「龍宝山」といい、開基は赤松規村、開山は大燈国師宗峰妙超で花園上皇、後醍醐天皇の帰依を受けて、嘉暦元年(1326年)法堂を建立し寺観を整え龍宝山大徳寺と号したのであります。建武元年には後醍醐天皇から「本朝無双之禅苑」の勅額を賜り、「南禅寺」とともに「五山の上」という破格の栄遇を受けました。
ちなみに五山とは京都では「天竜、相國、建仁、東福、万寿」を指し、鎌倉では「建長、円覚、寿福、浄智、浄妙」を言います。鎌倉時代、五山の茶礼が茶の湯本来の形ともいえます。
戦国末期には堺衆の富力によって支えられ茶の湯の本山の観も呈するほどになり、また秀吉は信長の葬礼を大徳寺で執行し「総見院」を創建したため寺勢は特に上がり諸大名を旦那として塔頭が続出しました。ご存知の通り、茶の宗匠に限らず、多くの茶人大名達がその紋に参禅をし、得度を受け、道号を以て茶名としている点からも、「大徳寺の茶面」の俗称も頷けます。
現在その山内大小二十四の塔頭、傘下の末寺は全国に数百箇寺を数える臨済宗大徳寺派総本山です。
署名の仕方としては「現大徳」とあるのは管長を現わしますが、管長制になったのは明治にはいってからで、第十四代目の管長を勤められる福富雪底老師は新潟県西蒲原郡潟東村のご出身と伺っております。現住管長は高田明甫老師です。
各塔頭のご住職はほとんど「紫野」「龍宝」を使われます。紫野は大徳寺のある所の地名で、龍宝は山号です。
一番多く見受けるの「前大徳」でしょう。現代では末寺の住職に与えられる一種の位、称号、資格のようなものと考えるのが無難でしょう。
大徳寺の僧侶の位には再住位・前住位・住持位・・・以下八位までありますが、この内「前住位」に当たるものです。この位を受けると、本山大徳寺にて一日だけ「大徳寺住職」になる「改衣式」を行い、方丈(導師)という役をして本尊と開山をはじめ各祖師に報告の法要をし一山の各住職に披露します。それ以後に、「前大徳」と書くことが許されます。ですから前の管長という意味ではありません、明治になり管長制が布かれましたので、管長は今まで十五人しかおりませんので悪しからず。