高麗茶碗(室町、桃山期、第一期朝鮮茶碗)
「高麗青磁」から「粉青沙器」へ。
侘茶の台頭により注目を集めるのが「高麗茶碗」と称せられる一群です。
その名の示すとおり高麗時代の茶碗に始まり李氏朝鮮初期から秀吉の朝鮮出兵、またそれ以降、江戸の終わりまで続く日本からの注文による御本茶碗にいたるまで様々な種類の茶碗類が茶人の好みによって見いだされてきました。
高麗茶碗は室町後期の珠光時代に注目されることはあまり無く、前述の「珠光青磁」が見られる程度でしたが、武野紹鴎の頃から注目され利休時代には重要な位置を占めるに至ります。
利休の時代では「山上宗二記」の記述などには「当世ハ高麗茶碗、今焼茶碗、瀬戸茶碗以下迄ナリ」として唐物茶碗から高麗茶碗や長次郎を中心とする楽系の茶碗、美濃窯の茶碗(後に詳解)が注目されていたことを伝えています。
何故「井戸」が高麗の筆頭のように言われるのか。
会記に残る名称の記述では「三島茶碗」が最も早い例のようですが、それ以前、単に「高麗」との記述の中には、「井戸茶碗」なども含まれていたのではないでしょうか。
十四世紀の高麗王朝末期から李朝初期に掛けて現れる初期の高麗茶碗が注目されるのは利休時代になり「濃茶の呑み回し」が始まってからなのではないでしょうか。
利休以後、戦国の武将たちにその「安全性(毒殺の危険の回避)」と「味わいの良さ(試しに、一人分で練った濃茶と、三人分の濃茶を飲み比べてみるとよく分かるかと思う)」によって、「濃茶は大振りの茶碗で人数分を練って飲み回す」事が定着、最も適した茶碗として高麗茶咎が注目されていったのでしょう。
その中でも筆頭はなんと言っても「井戸茶碗」でしょう。中でもいわゆる「名物手」といわれる「大井戸茶碗」が俄然注目されたのではないでしょうか。勿論その轆轤目の豪快さ、色合いなど武士に受けたのではないでしょうか。
これらの中には国宝「喜左衛門井戸」や細川幽斎と秀吉によるエピソードで有名な「筒井筒」や「有楽」「細川」など枚挙にいとまがないほどです。
(井戸より古い?青井戸、小(古)井戸)
あまりに当時流行の茶の湯にぴったりの「大井戸茶碗」は茶人の注文ではないかという説までありました。むしろ、小振りの「小(古)井戸茶益」や「青井戸茶撒」がより古いのではないかとも言われています。おそらく直感的に昔の茶人は「古井戸」と記したのではないでしょうか。
「小井戸茶碗」には「六地蔵」「青井戸茶碗」には「柴田井戸」等が代表でしょう。
準井戸茶碗とも言える「井戸脇】や「小貫入」は少し時代が下がると考えられています。
「井戸茶碗」は高麗茶益の中でも最も人気があり、後述する「萩焼」や「唐津焼」にも多く「写」が見られるほどです。
日本人の感性が「手分」を作り出した粉青沙器
粉青沙器とは、韓国での発掘調査が進み高麗盛時以降十五~十六世紀から作られる高麗青磁の胎土に白土装飾を施し青磁粕を薄く掛けた焼き物の総称で1970年代頃から使われた名称で、最初は官窯として発展する陶器を指します。
日本では「三島」「刷毛目」「粉引」「無地刷毛目」等細かく分類をし、「粉引」の中で使い込まれたシミが出た物へは「雨漏」という名称を作ったりもしました。
「三島」は白土を掻き落とした様子が、「三島神社の暦」に似ていたところからの名称で、「礼賓(らいひん)三島」と呼ばれる朝鮮王祠官窯の物や「花三島」「三作三島」などがあります。「彫三島」は時代が下がり日本からの注文品と言われ「御本三島」はその名の通り「御本時代」にこれらを模して作られた物です。
「刷毛目」は白土を刷毛目が見えるよう塗った物です。「粉引」は溶かした白土の中に茶碗を付け真っ白にした物、高台周辺を白上に付けず引き上げた物を「無地刷毛目」と呼びます。
(呉器茶碗)
「井戸茶碗」の次に人気があった「呉器茶碗」はその形状が椀形のところからの名称とされています。作行きで「真(ま)」「大徳寺」「紅葉」「錐」「番匠」「尼」「遊撃」などがあり、後述する「御本茶碗」や国焼の茶碗にも「呉器茶碗」の形状を写した物も多く見られます。
これらの茶碗とほば同時期、十六世紀から十七世紀にかけて焼かれたと考えられる物の中に、単に「高麗」と表現する「白高麗」「割高台」などがあります。
利休の注目した高麗青磁は薄茶茶盌?
中国の青磁の影響を受け、朝鮮半島で焼かれた高麗青磁の中から朝鮮半島独特の「象嵌青磁」が現れ日本ではそれらに文様から「雲鶴青磁」「狂言袴」という名称を付けて使用していましたが、不思議なことに「井戸茶碗」より古い焼き物であるこれらの茶碗群は利休所持の「挽木鞘(ひきぎのさや)」や「疋田筒(ひったづつ)」「藤袴」「浪花筒」など「筒茶碗」しか使用されない様で、すなわち「薄茶茶碗」と言うことになります。
また、もっと古い時代、粉青沙器以前の十二世紀頃焼かれた「印華手高麗青磁」「白磁」はついぞ茶の湯に登場することはなく、近世の写も我々の茶で用いるべきではないでしょう。中国や、朝鮮半島での価値観と「茶の湯」での価値観の違いを表す良い例でしょう。