「利休」の登場によりそれまでの茶湯が大きく変わると共に、その後の茶湯の発展に大きな功績を残したことは、後世の仮託(南方録のような)を含めたとしても万人の認めるところであります。
その大きな背骨となっているのが「陰陽五行説」を取り入れた精神性ではないかと考えています。「四畳半の茶室」を「真の茶室」と位置づけ「曲尺割」を解き、点前を系統立てていったことにも現れます。
茶室空間を維摩居士の方丈にもなぞらえ、宇宙を表し、台子を根元としました。「五行説」では宇宙は五つの物質、即ち「木、火、土、金、水」から出来ておりそれぞれに「青、赤、黄、白、黒」の色と「東、南、中央、西、北」の方角を充てています。
茶室の壁には「湊紙」と呼ばれる「紺色の紙」を客側に「西之内紙」と呼ばれる「白い紙」を亭主側に張り、この色により東西を表し中央には「黄土」で出来た「土の炉壇」を配したうえで、「南北」を表す「赤、黒」それぞれの茶碗を使ったのではないでしょうか。そしてそれらのことは「教外別傅不立文字」として余人には教えず、それを知らぬ秀吉に黒茶で茶を出し不興を買う事となります。別に利休は「黒きは古き心」といっています。
なかなか難しい言葉ですが「赤」よりも「黒」を上位と見ていた現れなのではないでしょうか。
黒は北を表し赤は南を表すことで利休の茶の湯の理想を実現する為の茶 それが「楽茶」であったのではないでしょうか。以後「楽家」は「千家」と共にあり続け現在に至っています。
「千家」ばかりでなく「片桐石州」も「侘茶」の茶 として「赤楽」茶 を挙げています。