皆具の格式化
江戸時代初頭に台子の点前を述べた書『草人木』(寛永三年(一八二八〉刊)の「台子之沙汰」には、上八段、中八段、下八段の台子点前が詳述されていますが、四器の飾りについては書かれていても、同一器種であるとの記述はない。同様に藤林宗源の『和泉草』にも「台子(真行草)九段」があるが同様です。
台子の伝授書としては『南方録』七巻中の「台子」巻が知られているが、その中に次のような記述があります。
不審菴伝来 利休唐銅皆具 |
・釜、車軸、桐
・杓立、ソロリ、柑子口
・水指、無紋、皆口
・コホシ、合子、ソリ口
・蓋置、夜学獅子、勅印
・風炉ハ、大朝鮮又ハ獅子ノ台ナトヽ テアリシ也
以上の記述からも、元禄年間(一六八八―一七〇四)においてもいまだ皆具という感覚ができ上がっていないことがわかります。
ところで、別々の器種を取り合わせていた四器が、同一の器種で造られて「皆具」の原点となったのが、利休所持とされる唐銅皆具(不審菴蔵)でしょう。これは表千家四代江岑宗左の箱書で盛阿弥作の台子に合わされたもので与次郎作の切合丸釜、唐銅鬼面風炉とも一緒になっています。
利休が同じ素材で四器を依頼したとするのは、少々早いようにも考えられるのですが、それは今後の研究を待たれるところです。
根津美術館 利休桃水指皆具(15C ) |
伝来の皆具に利休所持「利休好桃水指皆具」が残されています。
根津美術館の所蔵で利休所持磨損皆具は真台子に組み込むために、それぞれに異なる唐銅の水指・杓文・建水を、利休の目利によってとり上げ、組み合わせた皆具です。彫り文はそれぞれに異なり、製作年代も違うようですが、皆具寸法の基本をなしています。水指は蝉文(または累座と雁木)の陽刻文が胴周りに三段に鋳出され、上下に一筋の箍がはめられています。共蓋の摘みは桃形で、落込み蓋になっています。
杓立は六角下蕪形に火焔形の陰刻文が装飾され、首周りにも動物文らしいものが現わされています。建水は左右相称の図式化された陽刻文を胴にめぐらしていおり、いずれも明代の中国銅器です。後に玄々斎時代七代中川浄益によって写されています。
天下の三宗匠の一人、天王寺屋宗及が、父宗達から譲られたとされる「珠光抱桶、珠光合子、珠光柑子口の柄杓指、平釜」も一種の皆具だとはいえないこともありませんが、同一器種であったとの証明は難しいと思われます。