煙草盆、喫煙具
現在は世界中、禁煙、嫌煙の嵐の中にいます。確かに喫煙は古来から「百害あって一利なし」ともいわれ現代医学でも証明されていることは確かでしょう。
五百年前、新大陸アメリカからヨーロッパを経由し中近東アジア、極東、アフリカを含め全世界に普及するに百年と懸からなかった「煙草」はその後四百年あまり日本にも「文化」としての影響までも多く与え続けてきました。
例えばファッション、アクセサリーとしての「煙草入」や「根付」、「火口」といわれる携帯ライター、果ては喧嘩の道具にまでなった「煙管」など、江戸時代を通して「喫煙文化」は様々な影響を与えていました。
天正年間にはすでにかなり普及していたと見られる喫煙習慣は利休時代から茶室にも浸透していったと考えられますが、利休、織部時代の好物の喫煙具は見当たりません。「お気楽に」との意味合いで出される「煙草盆」は江戸に入り「元伯宗旦」「小堀遠州」「金森宗和」あたりから「好物」の煙草盆が数多く登場します。
おそらく当時から濃茶の席での使用は考えにくく、「寄付待合」「腰掛待合」「薄茶席」に用いられるのが一派的であったようです。
「片桐石州」や「山田宗偏」の煙草好きは殊に有名で宗偏流では懐石の最中にも「煙草盆」を持ち出す場合もあります。
好物としては元伯宗旦では「一閑張」の物がほとんどで「一閑長煙草盆」「一閑木瓜胡桃足」「一閑釣瓶手付」など侘びた風情の物が、好まれており小堀遠州の好は「唐木」を多用した物や「透」を多く入れ技巧的に凝った物が多いようです。
その後は様々な好物が作られ現代に至っていますが、流儀により使う物を吟味すると良いでしょう。また、多くの「見立て物」、蒔絵などの装飾の多い「大名物」なども登場します。
「茶の湯で用いられた最初の煙草盆」ではないかと思っている「松の木行李蓋煙草盆」は、おそらくすべての流儀に共通して使用されていますし、煙草盆中の白眉であり、見込みの「節」の大きさと「時代」を鑑賞する物として流儀を問わず広く使われています。
「煙草盆」には必ず「火入」と「灰吹」が添えられます。「灰吹」は「吐月峰」とも呼ばれますがこれは静岡市にある山の名前で連歌師「宗長」がここに「柴屋寺」を開きここの竹を「灰吹」に用いたところからの名称です。
「火入」は煙草に火を付けるライターの役目を果たしますが、元々火入であった物は少なく「香炉」の小振りな物や「深向付」を見立てで使用したのが始まりです。
いずれにしても入念に手入れした「灰」を用いますが「菱灰」が決まりではなく「風炉灰」の上手を用いる法が巧者と考えられます。
灰形は放射状に筋を付けた形を多く用いますが流儀、火入により「屋根形」の灰形をする処もあります。
中に入れる「火入炭」も吟味してよく熾した物を用います。
「菊炭」とおっしゃる方も居られるようですが茶の湯で用いるすべの炭は「菊炭」ですので悪しからず。
他に「煙管(きせる)」「煙草入」を添わせる場合があります。
「煙管」も後に多くの好物などが登場しますし、「煙草入」も唐物の見立てや檀紙の 畳紙(たとう)など様々です。「煙草盆」のセットの中身を奇数で揃えるため「煙管」を用いた場合必ず「煙草入」を添えます。
引出など「煙草入の付いた煙草盆」を用いる場合も同様に「煙管」を用います。
茶事では三ヶ所ないし四ヶ所、四回乃至五回登場する煙草盆ですので形状、材質、技法など異なったものを用い客を楽しませ、亭主としても大いに楽しんで下さい。