「ネットで楽しむ茶事十二ヶ月」 茶の四月 その2
透木釜
平釜(桃山時代・越前芦屋) |
いよいよ炉も終わりの季節となり活躍するのは「透木釜」でしょう。いよいよ暖かくなり風炉を出す手前の時期、炉の火を覆い、かけられた透木釜は風情もひとしおです。
歴史上最も有名な透木釜は「名物平蜘蛛釜」かもしれません。
大振りの羽の付いた平釜でしたが、天正五(一五七七)年、松永弾定(久秀)が織田信長に攻められ信貴山落城の折、敵に渡すぐらいならと破壊されてしまいましたので本歌は拝めません。
この事件は松永弾正の茶人としての名声をもおとしめる結果となりました。即ち茶道具という物は単に私すべき物ではなく後世に伝える文化財なのだという意識が高まったせいかもしれません。
「平蜘蛛」形系釜の起源は古く、茶の湯釜以前の形態を伝える形状として考えられる物の一つです。
利休以前、炉の寸法が定まる前には釜の大きさなどまちまちでした、近年発掘された奈良時代から平安時代にかけて考えられる陶器製の釜は鍔のある平釜形です。当然鉄製の物も作られていたと思われます。やがて「炉壇」の寸法が定まり、炉にかかる物が「炉用」、かからない物が「風炉用の透木釜」というように分けられています。「平蜘蛛釜」の類型は「天明」系などに多く見受けられます。
透木釜の中でも、羽の取外しが出来るようにしてあるのが元伯宗旦好の「裏鏊釜」です。
元伯宗旦好 裏鏊釜 |
裏鏊釜の「鏊」は「いり鍋」の意味です。ちょうど中華鍋をひっくり返した底に穴を開け口とし、蓋を付けたそこの部分を取り付けその段差に「羽」の取り付けが出来る突起が左右にあり、二枚の小さな「羽根」を取り外すことで五徳据えの炉釜にも出来る形になっています。後にいくつかの好物がバリエーションとして加わっています。
炉壇と釜の間に入れる「透木」自体にも「好」があります。よく見かけたり透木釜のおまけ?のように付属している物の多くは「桐」で出来ています。これは「元伯宗旦」好みです。利休の好は「朴(ほう)」で出来た物です。遠州好に黒柿、朴があり寸法も異なります。他に「梅」は圓能斎「桜」は最々斎竺叟宗乾好があります。
四月の行事
「灌仏会、仏生会、花祭り」
花御堂(京都法然院の仏生会) |
四月八日を釈迦の降誕した日として、全国の寺々で盛大に行なわれます。俗に花まつりといい、仏教上では灌仏会(かんぶつえ)とか仏生会(ぶつしようえ)といいます。仏教年中行事としては孟蘭盆会とともに古く、花御堂を作って誕生仏を安置し、甘茶(正しくは五種の香水)をそそぎかけて供養をします。
香水をかけることも天平時代すでに行なわれており、花御堂をつくって誕生仏をかざり、水を注ぐということ、つまり灌仏の由来は、生まれたばかりの釈迦に、天から九匹の龍が水をかけて産湯にしたところから来ているといいますが、これが美しくかざりつけた花御堂のなかの釈迦誕生仏に、甘茶をかけるという習俗は、江戸時代に生まれたものですます。
降誕会、誕生会、灌仏、花祭、浴仏会、竜華会ともいい華やかな雰囲気があります。
戦後はキリスト教の行事「クリスマス」の方が賑やかになっていますが茶の湯との関係も深いこちらの方を題に取る方が「茶味」が出せるのではないでしょうか。
また、三月の涅槃会より華やいだ雰囲気が出せるのではないでしょうか。
「安楽祭(やすらいまつり)」
今宮神社 安樂祭 |
京都紫野大徳寺近くの今宮神社で昔は三月十日、明治以後は四月十日、近年は四月第二日曜日に行われる祭礼がやすらい祭です。春を迎える祭りらしく鉾、花傘を持ち、装いを凝らした行列が練り、「やすらい花」の歌に合わせて赤毛黒毛の鬼と子鬼とが太鼓、鉦、羯鼓(かっこ)を打って随所で踊りながら社参します。
炙餅(あぶりもち)はの今宮神社境内の茶店で売った名物の餅自然な味噌の甘みが特徴です。大徳寺の宙宝(ちゅうほう)和尚命名の「紫野焼」発祥の地、始祖「鶴亭(かくてい)」はこの茶店の主人であったといわれています。