「事始め」
裏千家対流軒事始めの様子 |
江戸時代、上方などでは同十二月十三日にすす払いをし、正月の準備を始めることをさします。
茶家ではこれに習い十三日を事始めとする習わしのようです。
主家へ「鏡餅」を持参し一年の恩恵を感謝する年末の行事です。ことに京都祇園の京舞宗家、井上家に舞妓、芸子連が挨拶にあがる姿は暮れの風物詩として毎年ニュースなどでも取り上げられています。鏡餅ということから十一月に引き続き「杵、臼」に関わる物も使えます。江戸では陰暦十二月八日を指し、「事納め」とも言うようです。
「茶筅売り」
王服茶筅 |
かつて京都の空也上人ゆかりの空也堂の下寺で作られた青竹の茶筅を事始めの日から売り歩いたとされ、新年に用いる大福茶、初釜に用いる風習がありました。この風習が茶商に残り歳暮の祝儀に青竹の茶筅を得意先へ配るのはこれが始まりとされています。覆面姿の「茶筅売り」は年末の風物詩とされましたが今では見かけなくなっているようです。
「歳暮釜」「除夜釜」「埋火」
師走。極月と何かと忙しい年の瀬を迎えるのは毎年のこと。せわしい忙しいといっていると文字通り「心が亡くなって」しまいます。
日頃よりも忙しい時期だからこそ「忙中閑」は是非必要ですよね。暮れも押し詰まった二十日過ぎからの茶会を「歳暮釜」と称し殊のほか侘びた風情が喜ばれる物です。ことさら凝った道具組でなくとも、その年、正月に使用した「干支」の道具などは「送り干支」「終い干支」と呼び十二年後まで若干のお別れ?を致します。十二年に一回、正月、初釜のみの使用では道具に勿体ない気もいたします。このときは行く年に名残を惜しんで、使用したい物です。
いよいよ「大晦(おおつごもり)」茶人としては一年を振り返り翌年に火を繰り越すといった意味もあり、大晦日に内々で釜を掛け、深夜に到るまで茶を楽しみつつ、新年を迎える等、一つの理想です。
埋火 |
炉中の炭を十分おこしたっぷりと継ぎ足した後、「埋火」にして新年、元旦を迎えます。翌朝、火を掘り起こし新たな炭を足すことによって年越しをした去年の火を持ち越す事によって今年も良いお茶が出来ますようにという気持ちでしょうか。ただし、埋火で年を越させるのはかなりの熟練が必要です。火を翌年に繋げる白朮火(おけらび)にもにた茶家独特の風習ではないでしょうか。
様々なお茶の中で一年過ごしてこれたことを感謝するとともに新たな歳に向けての思いを募らせることも多くあるのでしょう。
「煤払い、大掃除」
年末も押し詰まるといよいよ来年の準備で大慌て、お茶どころではない気分です。一年の整理をして、もはや鬼が笑うと言われようとも「初釜の準備」をしなくては本当に新年が迎えられない?気がしたりします。
「時々勤払拭(じじつとめてふっしきせよ)」は五祖弘忍の一番弟子「神秀(じんしゅう)」の言葉ですが「大掃除の軸?」と勘違いしたという話も残っています。暮れに見かける軸には「看々朧月尽」や「歳月不待人」「光陰可惜」「光陰如矢」「金龍急玉兎速」など一段と忙しき感のある語句が目立ちます。本来なら一年中、日々きちんと過ごしていなさいよとの意味でしょうが、何はともあれ「先者今年無事(まずはこんねんぶじ)、芽出度千秋楽(めでたくせんしゅうらく)」といきたいものです。
「クリスマス」
近年この時期の茶会では若年層からベテランまで、とても親しみやすく、よく登場するのに「クリスマス」をテーマとしたものがあり、ほとんどの茶の湯関連の歳時記にも登場しています。
桃山から江戸初期にかけて相次いでキリシタン禁止令が出されたこともあり、江戸時代以降、近世の茶の湯に登場することはまずありません。
明治以降も習慣的にはあまり趣向として使われはしなかったのですが、戦後、進駐軍(GHQ)とともに日本中に「クリスマス」が普及し、たちまち日本の行事としてわずか半世紀の間に定着していきました。
そんな歴史を振り返ると茶の湯との関わりは若干薄い気もしますが、「利休七哲(りきゅうしちてつ)」と呼ばれる人々にはキリスト者が多く含まれています。
「高山右近(たかやまうこん)(一五五二~一六一四。)」はキリシタン大名としてしられ、洗礼名ジュストといいます。禁教後は改宗を拒否しマニラに追放されその地で客死します。「蒲生氏郷(がもううじさと)(一五五六~九五。キリスト教を信仰し洗礼名はレオ)」伊勢松阪城主となり小田原征伐の功によって会津若松城主となる。
「牧村兵部(まきむらひょうぶ)(一五四五~一五九三。高山右近の薦めでキリスト教に入信)」
「細川三斎(ほそかわさんさい)(忠興)(一五六三~一六四五。細川幽斎の子。明智光秀の娘、玉(ガラシャ)と結婚。)」
「古田織部(一五四四~一六一五。信長・秀吉・家康・秀忠に仕えた。大坂の陣の直後、豊臣方へ内通の疑いで切腹を命ぜられた。)」
「織田有楽斎(一五四七~一六二一。信長の弟。後年京都で茶道に専念し、有楽派をひらく。洗礼名ジョアン。)」「瀬田掃部(せたかもん)(?~一五九五)」「芝山監物(しばやまけんもつ)(生没年不明)」らは何れもキリスト教に深く関わりを持っていたことが知られており、あながち茶の湯と遠いというわけでもないことが伺われます。
高山右近とも親交の深かった、ポルトガルのイエズス会宣教師「ジョアン・ロドリーゲス」は、天正五年(一五七七)頃来日し、慶長十八年(一六一三)にマカオへ渡るまで様々当時の日本文化に触れ吸収していきました。
日本語にも巧みで、慶長九~十三年には「日本大文典」を長崎で執筆、元和六年「日本小文典」をマカオで刊行するなど安土桃山時代の日本の文化風俗をヨーロッパに広めることに貢献しました。
殊に彼の「日本教会史」には当時と茶の湯に関する記述も多く記されています。むしろ戦国の茶湯は深くキリスト教と関わっていたとも言えます。
近年の茶会では欧米、またはキリスト生誕の地である中近東風の品物で見立てを中心に語られることが非常に多いように思われます。
萩焼 十文字割俵鉢 |
小林逸翁見立て19Cセーブル窯水指 |
ヨーロッパの陶磁器や金属器など主に食器類の見立てなど多く用いられます。
「ワインクーラーの水指」や「ナプキンリングの蓋置」「グラスの替茶器」「宝石入れなどの香合」。
見立ては決して悪いことではありませんが、安易な取り込みは茶湯としての品格や席の重厚さを失わせてしまいがち、極力慎重にしたいものです。
クリスマスの取り合わせとしては「十字」「馬」「羊」「トナカイ」「橇(そり)」「袋」「もみの木」「柊」「杖」「星」「雪」「夜」「鐘」「鈴」「緑と赤」「白と黒」「馬上盃」「ワイン」などキーワードも豊富、工夫次第で初心者から気軽に楽しめる事もあり扱いやすいテーマかも知れませんが、「サンタ」「靴下」「長靴」「天使」「教会」「キリスト」「マリア」「クリスマスケーキ」などストレートなものは避けた方が無難ですし、見立て重視、テーマ重視に流れては席が軽くなってしまいがち、先の戦国キリシタン大名に思いを馳せるのも一興かも知れません。