ネットで楽しむ茶事十二ヶ月」=茶の2月
「節分」
壬生狂言「節分」 |
旧暦の正月、年度替りである「節分」は少し風情の違う「新年」を味わう事となります。新暦では二月の三日から五日頃にあたり、一月の終わり頃から使える趣向ではないでしょうか。東アジアでは今も旧正月を祝う方がにぎやかなように伝えられます。
「追難儀(ついなんぎ)」とも呼ばれ京都では京都大学裏の吉田山にある「吉田神社」や「廬山寺(ろざんじ)」などが有名でしょうか。また「壬生(みぶ)寺」に奉納される「壬生狂言」がこの晩行われます。
京都市中京区の壬生寺の大念仏会や節分会に壬生の地元の人々によって演ぜられる狂言で、終始無言で行われ、ことに「節分会」の鬼追いの狂言は有名です。
「壬生狂言」を見ますと鬼を追うのには「升にはいった豆」と共に「柊(ひいらぎ)」も鬼の苦手なものとされています 。一般の食卓にも「イワシと芥子菜(からしな)」を食べ病気を防ぎ、厄を祓う呪(まじな)いとしていますし「イワシの頭も信心から」といわれるもとになっていて、節分の夜、鰯の頭を鬼を退散させるために柊(ひいらぎ)にさして門や玄関に付け厄除けとします。
この鰯は年中玄関に刺してありますので京都や関西方面にお出かけの際は注意してみられると面白いと思います。鰯や芥子菜は「懐石」には向きにくい物ですし、デザインも「茶味」に欠けるのではないでしょうか。代わりに「柊」は棗や茶碗にも用いられ、節分らしい雰囲気です。
壬生炮烙 |
またこの日、壬生寺では境内で売られている「焙烙(ほうろく)」に名前や生年月日を書き奉納します。
この日奉納された焙烙は、「壬生狂言」のうちその年の四月に行われる「焙烙割」で高い舞台の欄干から焙烙を落として割り厄落としのまじないとします。
裏千家では玄々斎が、この焙烙を大炉の灰器として趣向で用いたのが習いとなりました。
定林 升釜 |
「宝船の図」は元旦の夜だけでなく節分の折りでも吉夢を見るともいわれ「宝船」から「釣舟花入」等も良い物ですし、「宝尽模様」や「七福神」も、勿論節分で使う意味の説明付でお使いになれると思います。
こういった事柄の印象や想像から使われる道具に「信楽鬼桶の水指」「鬼の香合」「鬼熊川(おにこもがい)、鬼萩焼の茶碗」「大津絵の鬼の軸」とか「万暦赤絵升水指」「楽、升の向付」とか「升」を象った茶道具や一升升を煙草盆に見立てたりなど多く使われます。「福は内」の「お福茶碗」などを使っても良いでしょう。
「初午」
狐面とねじ棒 |
初午は二月の最初の午の日のこと「稲荷社」で「初午祭」があります。お稲荷さんとは「稲生(いななり)」の変化で五穀を司る神として信仰された宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)のことです。よく狐の異名として、またお稲荷さんそのものとも思われがちですが、宇賀御魂命の別称の御饌津神(みけつがみ)を三狐神と書き誤ったことや、稲荷の本地、荼枳尼天(だきにてん)が狐霊の夜叉であるとされたこと、狐が稲荷明神の使いと信じられるようになったことなどに因るようです。
京都ではやはり稲荷社の総本宮「伏見稲荷」が筆頭でしょう。神号や「宝珠」にちなむ形、香合などまた絵柄の物「狐」では香合や干菓子に「馬」は馬上杯茶碗とか相馬焼はじめ絵柄の物や連想させる物は干支の物を大いに用いることが出来ます。「田宝(でんぼ)」や派生の「壷々」の紋、「鳥居」や「三宝」など、神社にちなむ物を見つけだすと楽しく取り合わせていけるかと思います。稲荷の杉は伏見稲荷の境内にある杉を初午の日にその枝を手折ってお守りにしたり、また、持ち帰って植え、枯れるか枯れないかによって、禍福を占ったりしたそうです。
小鍛冶 |
「小鍛冶」
一条天皇の勅命により京都三条に住んだ名刀工、三条小鍛冶宗近が、伏見稲荷に祈願します。すると童子が現れ奇瑞を待って剣を打てと言い、剣の徳の数々、ことに日本武尊(やまとたけるのみこと)の草薙(くさなぎ)の剣の瑞相を語り憂うることなく準備せよと夕雲に乗って消え去ります。宗近が祭壇を作り一心に祈ると稲荷明神が狐の姿で現れ相槌をうち鍛え、名剣小狐丸を作りあげる勅使に捧げ稲荷山へ飛び去っていきましたという筋。宗近の銘の裏側に「小狐丸」と銘を打ったためこのように呼ばれたということです。
歌舞伎にも大きい影響を残し今も続く「能」の表現は幽玄という言葉で代表される奥の深い芸術です。
この能は特に季節はありませんが、狐、それも伏見稲荷との関係も深く、初午等の趣向に一つ深みを加えることもできる内容ではないでしょうか。
掛物はもちろん神号とか神像、玉に因むもの。あるいは稲荷山の図というのもあります。
釜に鳥居の地紋のある華表釜、馬地紋宝珠釜。狐の撮みや鳥居の釻付。香合には宝珠を初め狐など。認得斎好みの張貫の玉(練香を入れる時は青葉を敷く)、稲荷土産の柚でんぼも香合や薄器に応用されます。薄器には柚でんぼから奪胎した「つぼつぼ」蒔絵があり、代表的なものに、宗全好みで道恵作のツボツボ棗があり、吸江斎好みに玉の絵の棗があります。
茶碗はなんといっても初午茶碗、本歌はノンコウで元伯の銘。一文午や絵馬の絵。ほかに長入や得入に玉の絵の茶碗。茶杓、茶碗の銘には三ケ峰、小狐丸、白狐。蓋置に三鳥居や鈴、三宝などがあります。
「梅花祭」は北野神社で、その祭神、菅原道真の忌日とされ、二月二十五日また、その前日から当日にかけて行なう神事、天神御忌(てんじんぎょき)をさし「初天神」ともいいます。
北野天満宮 |
「菅原道真公」を祭神として京都の「北野天満宮」が鎮座して平成十四年(二〇〇二年)でちょうど一一〇〇年を迎えました。菅原道真は平安初期の公卿で学者でもありました。菅公と称されることもあります。
宇多・醍醐天皇に重用され、寛平六(八九四)年遣唐使に任命されたが建議して廃止をし、これより平安時代国風文化が盛んとなるもととなりました。延喜元年(九〇一)藤原時平の中傷によって大宰府に大宰権帥として左遷されてしまいます。
京の家を出る時、平生愛していた梅の木に「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘れそ」との歌を詠んだところ、その梅の木が後に大宰府に飛んで行き、そこで生え匂ったという故事にが有名です。
北野さんだけでなく「太宰府天満宮」の物なども面白いと思います。学問の神様としてちょうど受験時期とも重なりとても賑やかです。
天神さんのお使いは「牛」牛を象った物、後にも述べますが、「干支」だけでなくこの時期に使って大いに楽しめる物です。「交趾台牛香合」「同く笠牛香合」「染付甲張香合」(香合ばっかり?)等もあります。
菓子には「梅」を象った物は数々あります。銘であれば「飛び梅」「巻き紅梅」「梅衣」「未開紅」「此花」「雪の梅」「梅の窓」「こぼれ梅」「北野の春」「東風」梅に鶯「鶯餅」など、別名に好文木(こうぶんぼく)、木花(このはな)、花の魁などがあります。「鶯宿梅」の蒔絵は古くから用いられます。
門前菓子として北野天満宮の「長五郎餅」や太宰府天満宮の「梅が枝餅」はその場で出来たてをいただくのがなによりのご馳走です。茶席の菓子にはちょっと不似合いなものではないしょうでしょうか。