「ネットで楽しむ茶湯十二ヶ月」=茶の六月(雨を楽しむ)
季節は初夏から夏へ向かい「梅雨」が訪れる頃となります。梅雨の前は天候もよく日差しは強くなりますが、上からの光は軒の深い茶室には届きにくく、むしろ涼やかな過ごしやすい日々の中にあります。
浦上玉堂 早乙女 |
「田植え」や「早乙女」が連想される六月の茶趣ですが、現代の稲作地帯では「早稲品種」である「こしひかり」や「ささにしき」の作付けが主流であり労働力も兼業農家がほとんどとなった為、五月の連休頃には田植えが始まり、「早乙女」にかわり「田植機」が田植えをしている次第、風情のないことしきりです。
今では「五月雨(さみだれ)」の中「早乙女(さおとめ)」が「早苗(さなえ)」を植え「燕」が飛び交うのは待合いの軸の中のことになってしまいましたのでしょうか。
「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山、元の姿はかわらざりけり」は幕末三舟のひとり山岡鉄舟の富士画賛で有名になった語句だそうです。
うっとうしいとはいえ梅雨時の雨がなければ農作物も育ちません。「慈雨」という言葉を思い出します。
いっそ「大津絵の雷さん」でも掛けましょうか。こちらは大事な商売道具の「太鼓」を落として大慌て、というユーモラスな題材になっています。
雨の躙口 |
それにしても露地に出ても一向に雨の止む様子はありません。なかなか蒸し暑くもあり、うっとうしい「梅雨時」ではありますが「雨」を楽しむのも茶の湯の風情「これ人間の好時節」と受け止めましょう。
もっとも地球環境の変化からか最近の日本では、しとしと降る「小糠雨(こぬかあめ)」が降りにくく、すぐに熱帯地方のスコールのような「土砂降り」になってしまうのだそうです。人も自然も「情緒」のなくなってしまった物なのでしょうか。
ともあれ多少の雨なら「露地笠」を手に「露地下駄」で歩く露地の雰囲気もよいものです。
夜咄のときと同様、「露地笠」を使った場合、晴れた日とは違い、客は連なって露地を移動します。
これを雁が翼を連ねて渡る姿に見立て「雁行」と称します。
「夜咄の茶事」など「火燭」を伴う場合は明かりに近くないと困ってしまうのですが、「雨の日」などは「露地笠」を持ち「蹲踞」で手や口を清める際、次の客が先の客の「露地笠」を支え差し掛けて上げなくてはなりません。茶事の際には余計な物を手持ちしないのはこのためといっても良いでしょう。
大きな笠を二枚も持たなくてはならないのにたとえ小物でも手にしては大変です。しっかりと懐中していきましょう。
露地笠(バッチョ笠) |
よく「お太鼓」の隙間に隙間袋、いえいえ「数寄屋袋」を入れる方も多いのですが、これはあくまで臨時の話「帯はランドセルじゃない」と叱られたものです。
茶の湯の持ち物はことほど、着物で行動するのに適して出来ています。いつ頃からの風習でしょうか男性なら着物でなくとも茶席に出向いても良い、といった風潮は、男性が着物で茶席に行くというのがむしろ奇異に見られると言うのは誠に嘆かわしい話です。
ともあれ、この「露地笠」我々はよく「バッチョ」あるいは「バッチョ笠」といい慣わしていました。「バッチョウ笠」が訛った物らしく、もとは「ばんしょうがさ(番匠笠)」の変化かとも「八畳笠」と書く場合もあるようです。真竹(まだけ)の皮で作った粗末な、浅くて大きい笠をさすようですが茶席の露地用の物は手で支えることを原則とし着物を濡らさないためか直径四尺あまりもあります。
一方「露地下駄」は杉木地で作られたいたって簡素
露地下駄 |
な物です。晴れの日に用いられる「露地草履」は「竹の皮」で作られており「打ち水」をした露地の飛び石を丁寧に拭って水気を取って置かないとたちまち浸みてしまいます。まして雨の日には足袋まで濡れかねません。
利休は露地を歩く際に「下駄」で上手な音を発てて歩ける人がいないので草履の裏に革を打ち、雪の上を歩くように音のしない下駄の意味から「雪駄(せきだ)」となづけました。軽く履き心地の良いこの履き物はやがて雨や濡れた地面にも強く「露地の内」から「表通り」で使われだし現在に到っています。
「露地」の中で見うけられなくなって久しい「雪駄」ですが、水にも強く実用的なので復活することを期待しているのですが。
雨の日には「露地下駄」の用意は欠かせないでしょう。この時期に限らず「降らずとも雨の用意」は茶人の常の心懸け、雨が降ったらお茶事は中止、という訳にも参りません。晴雨に関わらず用意だけはしておきたい物です。
六月によく見かける語句
宙宝宗宇 |
雨が振らぬやらは天にお任せするとして、席に入れば本席の床には「白雲自去来(はくうんおのずからきょらいす)」とか「白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)」など「一滴潤乾坤(いってきけんこんをうるおす)」「一雨潤千山(いちうせんざんをうるおす)」など雲や雨を思わせる軸などが多く見受けられます