「ネットで楽しむ茶湯十二ヶ月」=茶の五月(初風炉を楽しむ)
五月の声を聞くころになると茶の湯の世界では「夏」を迎えるころになります。すなわち十一月から半年馴染んだ「炉」を塞ぎ「炉畳」を改め、風炉の準備が始まります。
「炉の後が半畳青し時鳥(ほととぎす)」四畳半では半畳が炉畳となり、炉の時期には部屋の中央にあります。風炉の時期には「踏み込み畳」に半畳を持ってきて敷き替えます。
これは「陰陽五行」の考え方から発生しており流儀を問わず行うようです。
初風炉は開炉の時ほど華やかではありませんが、北国では冬が明けようやく陽気の良くなる頃です。気持ちも新たに「風炉の花」を活け「風炉のお点前」を思い出して?等々・・
初風炉には土風炉がにあう事
初風炉の頃には流儀を問わず「土風炉」を多く用います。
初風炉ということで格式を持った土風炉を使用するのですが流儀により特殊な灰型を施したりもします。
ですから灰の善し悪しで茶人の技量が分かるとも言われるくらい灰を大切にする茶人の灰にとって一番の活躍の時期ではないでしょうか。
室町時代後期、奈良で唐銅の風炉に対し新たな国産の風炉が造られます。
小屋掛けの茶屋や屋台でで使われた陶器製の風炉から、新たに侘茶の祖と言われる珠光あたりの発案だろうとされる黒陶で作られる「土風炉」の発明です。
当初は羽のある釜(主に真形釜や平蜘蛛釜)を直接掛ける形で、「透木」を使う物でしたが、やがて侘茶の普及、流行に従った事と後に「五徳」が使用されるようになると様々な風炉が造られるようになったと考えられます。
当初は「透木風炉」や『鬼面風炉』の面影を残す「乳足」の眉風炉、別名「奈良風炉」と呼ばれる物が登場し、やがて「紹鴎風炉」「利休形の眉風炉」へと変化していきます。
やがて不用になった「眉」の部分を取り去った「前切風炉(頬当風炉)」が風炉の典型の様になり「利休面取風炉」や「道安風炉」、雲龍釜を載せるために作られた「雲龍風炉」「紅鉢風炉」などが次々と造られていきます。
江戸の初期にはほぼ「風炉と云えば土風炉」を指すようになります。
金属製の風炉でなく瓦焼の手法を用いた素焼の陶器で造られた土風炉がより侘茶に見合うものとして俄然注目されます。
、江戸初期の文献には書院には「金風炉(切合風炉)」四畳半(小間、侘茶の意)には「燻(ふすべ)風炉(土風炉)」と規定されるようにまでなります。
侘茶の取り合わせを上位として認識し、その象徴として土風炉が規定されていきます。
ところが近年では、稽古用には唐銅の風炉が普及しています。これらが重宝される理由には、一つには「釜」の生産者が扱っていた、ことかも知れません。お稽古のために釜と一緒に求めるには都合が良かったのでしょう。
また、土風炉の中には漆(または漆塗料)を掛けた物が出回っています。
これは火に長時間かけると塗料が剥げてしまうところから「土風炉は痛みやすい」と言う風評を広げてしまい「唐銅風炉」にその主流の座を明け渡してしました。
しかし、本来のふすべ土風炉は以外と強い物です。
これを機に一つは土風炉を手に入れてみてはいかがでしょうか。
おすすめの土風炉へ
釜の大きさも五徳の使用と土風炉の普及により釜も様々な形が鋳られるようになると共に風炉用の釜が分けらられるようになっていき「風炉用の釜」は「炉釜」に比べ、小振りな物が使われだします。
炉・風炉入れ替えに伴う道具の変化
炉風炉入れ替えと共に炭道具なども多く入替えになります。
熱量の高い炉中を扱うために桑柄など木の握りの付いた「火箸」や「灰匙」も風炉用の「素張の火箸」や「竹皮巻の灰匙」の「風炉用」に替えることは勿論です。
炭斗でも背の高い物を用いるのは「風炉へ炭を上げてつぐ」ためで炉の場合背の低いものが喜ばれるのと反対の理由からです。
「灰器」も「素焼、焼締陶器」の物から「施釉(釉薬を掛けた焼物)」へ替えます。
例外としては「雲華焼」は両方に用いても良いのですが大小があり、やはり小振りなものが風炉用になります。
これは灰の使い方と性質が異なるためでしょう。炉の灰をたっぷりと入れますが灰は釉薬を浸食しやすい湿った、風炉の灰は逆に乾いた灰を用い、使用する量も炉に比べて少量なのが一般的な為です。
「香合」も香木を入れるため「陶磁器」から「木地、塗物」へ代わります。
「炭斗」も「背の高い小振りの物」を風炉用として用いることが多いようです。
炭道具以外には、柄杓や竹の蓋置が風炉用に取り替えられたりします。
また、炉専用の棚が使われなくなる時期となりますが、不思議に棚には風炉専用の棚というのはないようです。
いずれにしても初夏のこの時期、きりっと風炉の点前に切り替わるのはやはり心地よいものですね。