ネットで楽しむ茶事十二ヶ月」=茶の10月
砧青磁 砧形花入 |
茶湯の世界に限らず新旧の暦が交錯してしまい季節感がつかめないことも多いのですが、殊にこの「炉、風炉」の切り替えの時期、というのも新旧の暦で区別しにくところであります。
陰暦の十月は秋も終わり、初冬を迎えた頃、茶湯としても華やかではありませんが風情のある季節を迎えます。
もちろんお稽古のカリキュラムとしては十月にはいると「名残」「侘び」の趣向のお稽古をする、これも大切なことなのですが、実際の茶事で用いるには十月下旬ぐらいが適当でしょう。
秋草蒔絵砧香合 利斎 |
砧(きぬた)・碪はきぬいた(衣板)」の変化とされ木槌で布を打って柔らかくし、つやを出すために用いる木、または石の台、それを打つことやその音をもさします。
源氏‐夕顔「白妙の衣うつきぬたの音も」)、河東節(かとうぶし)、箏曲、上方唄などにこの名があります。
謡曲では「砧拍子」があり世阿弥作で四番目能。訴訟のため都にある夫を留守の妻が慕うあまり、砧を打って心を慰めるが、恋慕の情は増すばかりで、遂に恋い死ぬ。といったストーリーです。
農閑期にしばし行われる作業でもあり「秋」の季語の代表でもあります。
打つ木槌の形をしているところから「花入」「香合」などによく用いられるモチーフのようです。南宋の青磁花入にこの形も多く、「砧青磁」の名を残しています。
野々宮 |
「野宮(ののみや)」は京都嵯峨野の有栖川にあった伊勢神宮、賀茂神社の斎王の潔斎所です。宮城外にあり、極めて素朴な構造だったところからの名前といわれています。皇女または女王が斎王となるとき、宮城内の初斎院で潔斎した後、伊勢の斎宮に移るまでの一年間、潔斎のためにこもる宮殿。黒木の鳥居を設け、柴垣をめぐらし、質素に作ってあったといいます。皇女または女王が斎王となるとき、宮城内の初斎院で三年間潔斎した後、神社へ参る前に移る宮殿としての役割もあります。今でいう京都市右京区嵯峨天竜寺野々宮町にある野宮の旧跡地です。
能楽としてもゆうめいで、「源氏物語」による曲名です。
野々宮釜 大西清右衛門造 |
ストーリーは旅僧が嵯峨野の野宮を訪れ、昔、光源氏が野宮に六条御息所を訪れた九月七日に御神事を行うと語る里の女に会う。その夜の僧の回向に御息所が現れ、賀茂の祭りに葵の上と車争いした妄執を晴らしてほしいと頼む。
源氏物語」の登場人物六条御息所は大臣の娘で一女をもうけた前坊と死別し、源氏に愛される。感情が激しく、生霊となって葵上をとり殺す。といいたものです
斎宮に卜定された娘(のちの秋好中宮)について伊勢に下る際、伊勢の斎宮に移るまでの一年間、潔斎のためにこもり、そのことを気にした源氏が会いに来るという源氏物語第十帖「賢木(さかき)」の一場面が思い起こされます。
玄々斎好野々宮棗 蓋裏 |
野々宮を題材とした茶道具は多く「黒木の鳥居」と「芝垣」を巡らせた質素な佇まいは侘び茶の風情にふさわしい物と捉えられたのか「西村道仁作 野々宮釜」は鳥居と芝垣の地紋に蜘蛛の鐶付という意匠は印象深い物です。
玄々斎の西山名所棗の内や圓能斎好「野々宮炉縁」は松の皮付炉縁に「芝垣」を置き上げした造りです。
地模様、蒔絵などで「鳥居と芝垣」とあれば「野々宮」と見て間違いないでしょう。