「ネットで楽しむ茶事十二ヶ月」=茶の九月
鈴虫 |
近年は寒い夏であったり、極端に暑かったり、秋がいつから始まるのやら困ったものです。
旧暦の行事と新暦の暦の上での違いがありますのでますますややこしくなってしまいます。
ともかく「暑さ寒さも彼岸まで」ぼちぼち暑さも遠のき「お茶」に相応しい季節が巡ってきたようです。茶味も多く「茶趣」に事欠かない季節かもしれません。
「虫の音」
夏の終わりから聞こえ出す「虫の音」は秋を告げています。
「虫の図」が唐物の道具によく用いられているのは「闘蟋(とうしつ)」と呼ばれる「コオロギ相撲」影響でしょうか、今でも強いコオロギには牛六頭分の値段付くことあるようです。
香合にも「蟋蟀(キリギリスともコオロギとも読む)」「鈴虫、松虫、馬追」のほか、鳴きませんが「蟷螂(かまきり)」なども秋の虫として登場します。
初秋を彩る茶趣の一つに取り入れることもできます。
能にも「松虫(松虫の声に心ひかれて行ったまま草の中で死んだ男の回向をすると、男の亡霊が現れ、友と酒宴を楽しんだ思い出を語り、虫の音に興じて舞を舞う。)」があります。
松虫・後シテ(亡霊) |
摂津国(大阪府)安倍野のあたりに住み、市に出て酒を売っている男がいました。そこへ毎日のように、若い男が友達と連れ立って来て、酒宴をして帰ります。今日もその男たちがやって来たので、酒売りは、月の出るまで帰らぬように引き止めます。男たちは、酒を酌み交わし、白楽天の詩を吟じ、この市で得た友情をたたえます。その言葉の中で「松虫の音に友を偲ぶ」と言ったので、その訳を尋ねます。すると一人の男が、次のような物語りを始めます。昔、この阿倍野の原を連れ立って歩いている二人の若者がありました。その一人が、松虫の音に魅せられて、草むらの中に分け入ったまま帰って来ません。そこで、もう一人の男が探しに行くと、先ほどの男が草の上で死んでいました。死ぬ時はいっしょにと思っていた男は、泣く泣く友の死骸を土中に埋め、今もなお、松虫の音に友を偲んでいるのだと話し、自分こそその亡霊であると明かして立ち去ります。
酒売りは、やって来た土地の人から、二人の男の物語を聞きます。そこで、その夜、酒売りが回向をしていると、かの亡霊が現れ、回向を感謝し、友と酒宴をして楽しんだ思い出を語ります。そして、千草にすだく虫の音に興じて舞ったりしますが、暁とともに名残を惜しみつつ姿をかくします。
「たのしみの茶事」
お月見のお供え |
「中秋の名月」
「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」
「中秋の名月」は陰暦の八月十五日のこと、陰暦では七月、八月、九月の三ヶ月が秋、で真中の八月、そのまた真中十五日の名月です。今では九月の行事の一つ、澄みわたる秋空の月が待たれるようになります。
いにしえより茶人もこの趣向を好んで「名月」に関した取合せが多く使われ、また多く道具が好まれてきました。
月の趣向も満月の「十五夜」またの名「芋名月」を中心に「二日月」「三日月」「半月」「待宵、十五夜(望月)」「十六夜(いざよい)(既望)」「立待月(十七日)」「居待月(十八日)」「臥待月、寝待月(十九日)」「更待(ふけまち)月(二十日)」
尾形光琳筆・小督局図 |
「二十三夜待」まで、ほぼ一ケ月に亘って楽しめます。
みなさんも子供の頃には月には「兎」が住んでいて餅付き?をしている。という風に思っていたのではないせしょうか。
でも「竹取物語」では月の住人の筈の「かぐや姫」を迎えに来たのは兎じゃなかったり、まぁそんな童心に帰って遊んでみるのも楽しいのではないでしょうか。