「ネットで楽しむ茶事十二ヶ月」=茶の九月(秋の茶会)
茶会の多くなるころ
秋になると再び「茶会」が多くなる季節です。
大寄せ茶会 |
いわゆる「大寄茶会」が盛んに行われます。毎週、あるいは茶会週間のように次々と各所で行われることが多いようです。
会場も「茶室」という空間では大勢のお客の対応できないため、ホテルや催事場のようなところが中心になります。畳の部屋が確保できる場合はまだいいのですが、三十人五十人と入れる座敷を幾部屋も確保することは東京や京都など大都会を除けば難しくなっています。
いきおい、洋間やホールで茶会を催す場合が多く見られがちです。一日二百人から五百人あるいは千人とかの茶会も少なからず催されています。
野点傘を使った茶会風景 |
また、茶湯にいささか遠い人々にとって「茶会」のイメージは「朱傘」即ち「野点傘」らしいのです。
洋間やホールを使用することによってイメージが「屋外」と捉えやすく、「立礼」や「野点」をイメージした席が多く見受けられるせいではないでしょうか。
これは笑い話のようですが、実際に耳にした話で、日頃のお稽古でも「初釜」が終わると「春のお茶会の点前の稽古」が始まり「春のお茶会」が済むと「秋のお茶会の点前の稽古」がはじまる。といった笑うに笑えない現実があるようです。
今から四十年ぐらい前、はじめて茶会に出させてもらった頃、勿論「初めて人前での点前」の時には何度も練習はしましたけれども、二回三回と繰り返す内に不思議となれてさすがにあがらなくなったものですし、繰り返し「茶会の点前の練習」をした記憶がないのです。
つらつら考えてみるに、そのころは「茶会」というものが、普及し始めてまだ物珍しくもあった、という事と「日頃のお稽古の発表会」の要素も多分にあったのではないでしょうか。
点前も「平点前」とか「何々棚点前」せいぜい「長板点前」ぐらいだったのでしょうが、かれこれ五十年も「同じ日にち」で「同じ会場」で、顔ぶれもそうそう変わらない、となってくる内に、人間「飽き」が来るもので「変わったことをしないとつまらない」と考えるようになったようです。
もちろん会場のせいもあるでしょうが、日頃の稽古でしたことのない「立礼」の席や「野点」や、はたまた「逆勝手」の席などが登場します。
特殊なことをし出すとなると「練習」が必要、即ち「茶会点前」の反復、となってしまうためではないでしょうか。そう、いつの間にか「稽古」ではなく「練習」になってしまっています。
そうこうしているうちに茶会の数、回数も増え、人口が右肩上がりの時にはそれでも良かったのですが、今や何処を見渡しても、茶会が「余っている」様な有様です。
ここらで「茶会」も「構造改革」「リストラクタブル(再構築)」をしなくちゃならないのではないでしょうか。
近年漸く「濃茶席」を設ける茶会がでてきました。実によいことではないでしょうか。
これからは「充実した点心席」を含む「濃茶」「薄茶」を巡る「小寄茶会」にしていくことも一つの手段と考えられます。人数も百人からせいぜい百五十人。
複数の流儀が催す茶会であっても、「点心席」を一席と考え毎年交代で行うことによって廻っていくように思われますし、実際に成功しているところもあるようです。
「よそを見る」も大切な勉強だと思います。これからは、色々な流儀が交流し、「点前が違うからおかしい(可笑しい)」のではなく「なぜそうなったのか、なぜ違うのか」などを尋ね合うのもおもしろいと思うのですが。
どうしても現行の形式がかえられない場合でも、ホールや洋室にも「畳」を敷き「和室」にしてしまうか「小間」のセットを組み立て茶室の雰囲気を作り出すことによってより本来の「茶湯」の雰囲気になり道具組で「趣向」の出来る席造りもなしえますし「日頃のお稽古の成果」を発表できる場所と成り得るわけです。「為にする練習」は不用になってくるのではないでしょうか。
茶箱を使った月見茶事 |
また、意外と登場しないのが「茶箱」や「茶籠」を使用した茶会です。「野点風」な設えをするのですが、点前は普通の風炉の点前や旅箪笥、「野掛け」を装い「釣釜で炉点前」・・・もちろんこの時期では香合をどうするのとかえって厄介な問題を抱え込んだりもします。
「変わったことをしないとつまらない」とお考えなら、茶箱・茶籠も良い工夫の一つと考えてはいかがでしょうか。
また、茶箱茶籠は昔から「数寄者」の腕の見せ所とされ、これぞ「見立て」や「工夫」のしどころ。
ただし利休さんは「野点にこそ名物を出し、廻りの景色に目を奪われやすい客の目を引きつけなければならない」と仰っておられます。
もう一つには「趣向」に工夫を凝らせば様々に変化させることが出来、楽しめるはずです。ただ「趣向重視」的な茶番に流れるのではなく、茶湯に新たな試みをしてみて頂きたいところです。